
◆6.黒の怪物(3)
しかし俺の予想に反して、藤谷さんの表情は次第に明るくなっていく。何か、良い報せでも入ったのだろうか?
「うん、いま星雷に出てた残り一体が倒れたみたい。残るは花曇の一体だねぇ、それも拘束が済んでるみたいだから直に倒れるよ~」
「…………!」
終わりが、見えた……!
ということで、もう暫く様子見した後……新たな怪物が出現する様子もなかったことから、星雷地区の方では本格的に各現場の黒泥回収と洗浄、最終的な安全確認作業が始まっていった。一連の作業はいつも引き続き特隊が行っていくのだが、この規模となると警察や中枢の職員の人も手伝いに出てきているようだった。俺はというと怪物を倒せさえすれば役目は終えているため、このまま解散になるだろう。
そんなことを考えながら周りの慌ただしい様子を引き続き眺めていると、隣に立っていた藤谷さんは近くに居た他の隊員の一人に声を掛けられてそのまま離れていってしまった。
えっと……俺はもう、勝手に帰って良さそうか……?
そう思ったと同時に入れ替わりで、今度は他の隊員の人が俺の元へと駆け寄ってくる。
「!」
そこで俺は驚愕して、目を見開いてしまった。
こ、この人は……。
「火華さん、ご協力ありがとうございました。おかげさまで、こちらはもう大丈夫そうです」
「は、はい……! えっと、こちらこそ……!」
不味い、急なことで変な受け答えをしてしまった気がする。
とても丁寧な対応してくれたこの人は、安達誠さん。
赤茶色の短髪に少し灰がかった黒い瞳をたたえて微笑みを浮かべる、その幼い顔立ちと控えめな背丈から俺よりも年下の少年のように見えてしまうが、歴とした大人だ。その見た目の原因は、彼が十五歳の時に不老の呪いを受けた身であることが関係している。
そして彼は、“神性能力者”である。
過去には都市に迫っていた危機の一つを未然に防いだという偉業を成し遂げたことで“英雄”とも呼ばれていて、ちょっとした有名人だった。つまり、俺の目の前には今とんでもなく凄い人が居るというわけで……こんなの、動揺するなと言われる方が無理な話だ。
はぁ、落ち着け……。
「大丈夫ですか? そろそろ周辺の状況も落ち着いてきそうですから、帰りは普段通りに依兎間の車両で乗せて行きます。疲れたでしょう?」
「え? いえ、俺は平気です……! こんな規模だと片付けとか大変でしょうから、全然気にしないでください!」
「そういうわけにはいきません……僕達が叱られることになってしまいますから、どうかお願いします。いま車を用意しますからね」
「わ、分かりました……お世話になります」
こんなところで遠慮するのも逆に失礼か……でも、やっぱり今は忙しいだろうに、手間を増やして申し訳ないな。まぁ、水無月と夢津さんの元に、少しでも早く帰れるなら良いことでもあるのか。
…………ん?
「…………」
「火華さん?」
いま……俺の視界の端に、一瞬だが黒く小さな影が横切った。大したことは無い筈だが、それが何故だが妙に気に掛かって胸騒ぎがする。野良猫……にしては、だいぶ丸々としていたような気がした。
そこで、俺はすっかり忘れていた“アレ”の存在を思い出した。あのこそこそと律儀に人目を避けて、隠れながら落書きをして回る小さな怪物のことを。
……そうだ、多少現場の方は落ち着いてきたとはいえ、まだまだ混乱の真っ只中で大半の人々は屋内に避難している。あの謎が多い怪物の立場として考えるならば……街中に通行人が全然居ない状況は、絶好の落書きチャンスなんじゃないか……!
また彷徨いている可能性は十分に有り得る、違ければまた戻ればいいだけだし……急いで追ってみよう!
「安達さん、すみません! ちょっとだけ、向こうの確認させてください!」
「? あの……! 何かあったんですか!」
「すぐ戻るので!」
安達さんには申し訳ないけど、これを逃すわけにはいかない。
俺はすぐに黒い影の行った方へと駆け出した、すると黒く小さな影は建物の間のこれまた細い道へと入っていく。こうまでして人から隠れる素振りは、やっぱりあの落書きをして回っている怪物で間違いないだろう。
「また狭いところに……面倒だな、うわっ!」
しまった……入った瞬間に気付いた、なんとそこには多くの鉄材が乱雑に転がっていたのだ。数時間は走り回って疲弊していた俺は反応が間に合わず、意図も簡単にその一つに躓いてしまい、盛大に膝から転けた。
「うぅ……」
痛い……ただの擦り傷だろうけど、両膝が本当に痛い。ここまで無傷だったのに、悔しい。スボンも汚れたかもしれない……これからまた遠出するのに……。
若干泣きそうになりながらも、俺はグッと我慢した。俺の不注意が悪い、仕方がないんだ……心の中でそう溢しながら気を取り直し顔を上げてみると、瞬時に俺の鼓動がドクンと早まった。
「!」
居た。
なんと俺の足元には、あの謎の怪物が白く光る目でじっと見つめてきながら、至近距離で佇んでいたのだ。一昨日にあやさんと一緒に見た時と同じ、丸々とした黒い躰にうさぎのようにピンと立った長い耳がついている……やっぱり、こいつだった!
不味い、攻撃なんてされたら敵わない!
俺は距離を取る為に急いで立ち上がろうとするも、一歩遅れた。怪物の方が、先に行動を起こしたのだ。
俺の足に向かって振りかざされた、その小さな手のような突起。俺は自分の身に災いが降り掛かることを覚悟してグッと身構えたが、結果は予想外のことだった。
「えっ……」
両膝に一瞬温かさを感じたかと思うと、次には先程まであった痛みが消えたのだ。傷口がどうなっているかは分からない……。
怪物はそんな俺を一瞥したあと、満足したかのようにそそくさとまた逃げ出していった。俺はもう、驚きすぎて追いかけることを忘れてしまった。ただただ、理解が追い付かずにフリーズするしかなかった。
それから少しして、俺の後ろからは安達さんがようやく追い付いてきた。こんな変な場所に居たのに、よく分かったな……。
「火華さん、大丈夫ですか? 手を貸しますよ」
「は、はい……」
「あぁ、ここは随分と物が散乱してしまっていますね……整理すべきです。管理者に連絡しておきましょうか。怪我はしていませんか」
「いえ」
うん……さっきのは、一体何だったんだろう。
あれ、本当に怪物なんだよな。どうして、俺の傷を癒すなんてことをしたんだろう。いつも見る怪物と全く同じ姿をしているのに……謎が深まるばかりだ。
……そう言えば、俺が最初に会った力の強い怪物にも少し違和感があった。怪物は“人間”を見たらすぐに攻撃してくるのに、どうして最初に間近まで迫っていた丸腰の俺を襲ってこないどころか、一切見向きもせず素通りしていったのか。よくよく考えたらおかしいことだ、運が良かったとはまた違う気がする。
思い当たる理由は、俺が“侵黒者”であること。
怪物の目的は人間の身体に黒泥を入れ込み、侵黒者へと変えることだと判断している。即ち、既に一度攻撃を受けて侵黒者となってしまった人は、自ずと怪物の攻撃対象から外れるということになる。皮肉なことに命の保証をするということは、この先にまだ何かあるのかもしれない。怪物にとって、侵黒者の存在は結構大事らしい。
これまで現場で怪物と対峙する時は、いつも既に拘束されてる状態だったから、そんなこと全然意識してこなかった。確かに同じ人間だとしても、純粋な人間とはまた身体構造が異なってくる“神性能力者”を怪物が攻撃した事例は無い。怪物の攻撃対象はあくまで“純粋な人間のみ”になるのか。その事実は、なんだか俺がもう人間じゃないと突き付けられたみたいで……ちょっと悲しさがある。
まだ確定ではないが……認める他ない、俺はそれを実際に体感した。怪物は侵黒者である俺を、攻撃しないどころか、助けもした………その一連の行動からして、十分にそう考えられるだろう。
また機会があれば実際に確認したいところだが、動いている怪物の目の前に出るのはやっぱり勇気が要るな……。
「……火華さん? まずは戻りましょうか」
「あ……はい。急にすみませんでした……」
「いえ、お気になさらず。お怪我をされていないようで安心しましたよ」
考えながら、俺は安達さんの用意してくれた車両へと移動して、後部座席に乗り込んだ。これは普段から人員の送迎に使われているみたいで、最低限の物しか置かれていない広々とした空間になっている。危ない武器なんかも、今は載せられてはいないと思う。多分。
「疲れた……」
「ふふ、そうですね」
「あっ……!」
咄嗟に口を抑えた、どうやら無意識に声に出てしまっていたらしい。そして聞かれた上に、相槌まで打ってもらってしまった。は、恥ずかしすぎる。慌てる俺に対して、安達さんはにこやかな笑みを浮かべていた。
「火華さん、改めて今回の件での助力ありがとうございました。おかげで怪物の討伐もスムーズに進みましたし、どうにか収束させられて安堵しています。そう言えば、火華さんのように協力に出向いてくださった学生の方々も多く居られたそうですよ」
「あっ、俺の友達も居ました。へへ……俺だけが出しゃばって不味いことしちゃったかなって、不安になってたので良かったです。みんな、気持ちは同じですね」
そうして、俺は安達さんの運転する依兎間の車両で駅まで送ってもらうことになった。あぁ……依兎間の人員が極限状態になっている時に、俺なんかに割かれるのがまさか英雄とも呼ばれる人で、しかもこんなことをしてもらうなんて、なかなか無い機会だろう。
緊張しすぎて、また今朝みたいに何かしらの不調が起こらないようにしないと……。
「駅から直接現場まで来られたと聞きましたが、火華さんはこれから出掛けられる予定だったんですか?」
「……あっ、そうです! 妹が灯神社のお守りを欲しいらしくて、俺も行ったことがなかったので良い機会だなと」
「なるほど……良いですね、僕も持ってますよ。灯神社は御守りが可愛らしいのが魅力的ですが、あの場所は一番“想い”が灯様へと伝わりやすい場所でもあります。もしお伝えしたいことがあるなら、参拝時に祈ってみてください」
「! そうなんですね……! よく考えないとな……」
「はい、実際に経験した身ですから」
そうだ、安達さんは実際に灯様と関わったことがあると聞いた。それは彼が人々から英雄と呼ばれる由縁ともなった出来事だった。その功績は他でもない、灯様自身から公に明かされたのだ。
彼の神性能力者としての特別な力は、未来視。
都市の危機的な未来が繰り返し見えたとして、過去に灯様へと助力を仰いだという。それに灯様は快く応えて、手助けをしてくれたそうだ。このことは都市の間でかなり有名になっていて、勇気を持って行動することの大事さを感じた一件だった。
俺は、何を伝えようかな……やっぱり怪物騒動に関してだろうか。
流石に……人の手だけでは限界があるから助けてほしいとか……駄目か? そんなの、俺以外にも沢山の人が祈ってそうだけどな。
「……怪物騒動に関しては、きっと大丈夫だと思っています」
「? それは、どうして……」
「ええっと……僕の持つ未来視は自分自身で視たいものを選ぶことが出来ませんが、危険性の高い未来の出来事は望まずとも警告のように何度も繰り返して視ることになるんです。ですが、今はそういったものは引っ掛らず比較的穏やかでして……あまりこの力を過信するのも良くありませんが、僕としては『怪物騒動』はもうこれ以上は大変な事態に発展することはないのかなと思っています」
「へぇ……」
そんなに精度が高いなんて、望む未来が視えなくとも十分凄すぎる……どういう感覚なんだろうか……?
「あっ……すみません。だからと言って、今のまま被害が増えていくのを見過ごすわけにはいきません。それに怪物の殲滅だけでなく、侵黒者の治療も必要ですからね。侵黒者の苦痛は、僕のような神性能力者とはまた違うのでしょうけど……その大変さと不安は痛いほど分かります」
「安達さん、ありがとうございます。俺も、これからも出来る限り頑張り続けます! 全ての解決に向けて着実に進歩はしてるはずですから、このまま少しずつでも良くなっていくといいです」
こうして直接温かい言葉を貰えるのは、本当に有り難く感じた。
安達さんは他でもない神性能力者として、人工的な神性能力者とされる侵黒者が身勝手に増やされていく今の騒動には、複雑な思いがあるだろうな……だけど、それを直接聞く勇気は出なかった。
神性能力者と侵黒者……謂わばオリジナルとコピーのような関係性だ。元々はみんな同じ“人間”という種族なのに、不本意にこうしてどんどん枝分かれ変化していくなんて……この先いったいどうなってしまうんだろう。各々の溝も深まるばかりだ。
とりあえず……急遽依兎間からの要請を受けた俺の役割は、これで一段落した。今回は非常事態でだいぶ無茶をしてしまって反省点も多いし、とんでもなく疲れてしまったけど、自分が勇気を出して行動したことを誇りに思えた。良かったと、嬉しい気持ちだ。
それで、ふと昔のことを思い出したんだ。
元々、今回の怪物騒動に係る新たな制度のことは、昔に食事の席で何気なく観ていたニュースで知った。自分の目にまさか怪物を倒す希望が宿っていたなんて……当事者である俺にとっては、とても衝撃的だったことを今も覚えている。
当時、興味はあったが……黒泥による苦痛で虚ろにただ引きこもっていた時期だったのもあって、そんな俺なんかが役に立てるかどうかひたすら不安になっていた。“あの時”みたいにまた何かやらかしたりして、周りに迷惑を掛けてしまうかもしれないと……。
でも、その時に父さんが言ってくれたんだ……『役に立つか立たないかは重要じゃない。一番大切なのは、柚希がやりたいかどうか』だと。つまりは、俺の意志だ。
少し悩んでから、俺はしっかりと伝えた。
“やりたい。俺に、出来ることなら……。”
それを聞いた父さんは、本当に嬉しそうにニッコリと笑いながら俺の頭を優しく撫でてくれた。俺がやりたいことなら、全力で応援すると……その言葉が、俺の背中を強く押してくれたんだ。
その日から、真っ暗だった俺の視界が輝きだしたのを覚えている。良い決断をしたと、今も自信を持って言えるだろう。それが無かったら……今こうして元気に外にも出れずに、ずっと暗い世界を憂鬱に過ごしていたと思う。
俺みたいな一般人が、果たしてどこまでやれるか。
中枢や依兎間とは違って、世のため人のためなんて崇高な理由ではないけれど……改めて、俺はこれからも出来得る限りのことを全力でやっていきたいと思った。過去の自分が、そう決めた時の“大事な想いと意志”をいつまでも忘れないようにしたい。
それが、今の俺が生きる希望となっているから。
う~ん……というか、ふかふかの座席に座って揺られてるせいで段々と眠くなってきた……これで本当に、これから駅に戻って元気に出掛けられるのか?