
◆9.重なる偶 然(2)
「へぇ、ここが病院……大きいわね」
「俺達が行くのは、その隣の研究所だけどね。こっちだよ」
あやさんを誘導しながら、俺達二人は研究所に辿り着く。
いつもの部屋の中では既に、夢津さんが一人待機していた。その手元の机には書類が幾つか挟まれた透明なファイルが置かれていて、夢津さんは最初それを見つめているようだった。
「おっ、来たか。わざやざ来てもらって悪いな、これらの書類はどうしても外部への持ち出し不可だから」
「いえいえ、大丈夫です! ちゃんと連れてきましたよ」
「ああ。この件について、向こうの親族にも既に個人情報等を第三者へと開示する旨を共有して許可を貰ってあるから、ややこしい問題については考えなくていい。俺の方でこれまでの経緯も含めて全て説明しておいた」
「え!? もうそこまで……ありがとうござます! その、相手の方を驚かせませんでしたか?」
「いや、最初こそ驚くだろうがな、この件については結局かなり合理的で納得のいく形に落ち着いたんだ。それが医者や研究者としての役目でもあるし……何より、“彼女の命を救う”のがよっぽど重要だからな」
“命を救う”だなんて……いったい、あやさんの身は今どうなっているのだろうか。そんな単語まで飛び出してきて、これからいったい何が話されるのだろうかと俺は気が気じゃない。きっとあやさんも同じように感じているのか、少し固い表情で静かに耳を傾けていた。
夢津さんが冷静に言葉を続ける。
「よし。その前に、まずはこれを見てくれ。いま火華の隣に居る彼 女は……この患者本人と見て間違いないだろう」
夢津さんから差し出された書類を、あやさんと一緒に見た。
書類に書かれていた患者の名前は、“飴降絢”。
そこで真っ先に目に入ったのはその書類の右上部分、とある女性の顔写真が印刷されているようなのだが……。
「………………!」
驚いた、彼女の顔は……隣に居るあやさんと瓜二つだった。
目の色だけは微妙に違うようだが、それ以外は、肩にギリギリ付くくらいの長さの白い髪・その前髪に着けた特徴的なピンまで同じで、これで別人だと言われたら驚いてしまうレベルだ。
驚愕する俺の反応とは裏腹に、あやさんは写真を見つめたまま怪訝そうにしていた。
「これが、私なの…………?」
「? あぁ……そっか、あやさんはいま実体が無くて反射しないから、自分の姿を鏡とかで確認出来ないのか……うん、同一人物に見えるよ。それに、ほら、名前だって“あや”で合ってたみたいだ」
「そう……それで、私はこれからどうすればいいの……?」
「まぁ、待て。二人とも、これから順に説明していくから……まず彼女は“侵黒者”であり、この研究所にまで話が通っている特殊な入院患者だ、俺も最近に相談を受けたばかりだから覚えている」
「!」
やっぱり、あやさんは侵黒者だったんだ……。
そのことはある程度は予想していて一応覚悟は出来ていたが……やっぱり、実際にそう告げられると少々辛いものがある。彼女も俺と同じように、過去に怪物による攻撃を受けて酷く痛くて苦しい思いをしたのだと……。
更に、今こうして隣で彼女が動いて喋っているということは、現実の彼女の状態は……。
「……飴降さんは怪物から受けた攻撃による怪我の治療の為に一週間ほど入院していた。それから退院の僅か二日後、彼女は家の自室で倒れてそのまま昏睡状態に陥り現在に至る。それならば、いま火華の隣に居る“あや”さんが何者なのか……手掛かりは、飴降さんに確認された“通常の侵黒者における昏睡状態とは異なる部分”にあると考えた。要はその件の相談で、研究所にまで彼女の話が来たわけだが」
「異なる部分……?」
「飴降さんは意識もない状態でありながら、体内の血液を日々少量ずつだが消費しているんだ。勿論、内外の出血を伴うような怪我や病気にはなっていない」
「!」
怪我などをしていないにも関わらず、体内の血液が減っていく……夢津さんからその言葉を聞いた瞬間、俺はその原因として思い当たるものが頭に浮かんできた。
「まさか彼女は……侵黒者として、自身に目覚めた特別な力を今現在も使い続けてるんですか……それが、あやさんの身に起きている問題の元凶だと……」
夢津さんが、無言で頷く。
出血を伴わない血液の消費。それは特別な力に目覚めた侵黒者が、自身の力を実際に使っていることを意味していた。これは当然、侵黒者の元となる神性能力者も同じだ。
水無月と灯神社へと出掛けようとした日に起きた大規模な怪物騒動の中で、俺が怪物の動きを止めようと“怪力”を使った時もそうだったんだ。“特別な力は血液に宿っていて、それを使うということは、体内の血液を失っていくことを意味する”。
それ故に当然、使いすぎると命に危険が生じる。
「ああ、その通り。言うなれば今の彼女は意識だけが身体から離れて彷徨っている状態……目覚めたとされる特別な力は、所謂“幽体離脱”というやつに該当しそうだな」
「なるほど、それならこんな状態になっていることも理解できます。ただ、状況は深刻ですね……夢津さんが最初に言っていた“命を救う”という言葉の意味が分かりました。こうしてあやさんが幽体離脱している限り、現実の彼女は日々特別な力を使い続けて体内の血液が消費されることになる……確かに危ないです、一刻も早く目覚めさせないと。えっと、制御機器は効かないんですか?」
制御機器とは、俺が左耳に着けているようなものを指す。俺のは小さなピアス状だが、色んな形がある。
元々これは神性能力者の為に中枢機関が開発したもので、これを着ければ特別な力は抑え込まれて使えなくなるんだ。
一応聞いてはみたものの、こんな初歩的な対策があっても飴降さんの状況が変わっていないのを見るに、答えは聞かずとも予測出来てしまうな……。
「ああ、こっちもそのことで難儀しているところだ。残念ながら、制御機器を装着してみても効果は見られなかった。火華も分かっているだろう、それさえも万能ではないことを」
「はい、そう聞いてます。特別な力は本人の意志とも関係が深く、強く願えば普通に使えてしまうって。だから、俺もそこは気を付けてます……」
「ああ、彼女の意志は相当強いらしいな。幸いなことに日毎に消費される血液は微量で、今はどうにか輸血して命を繋げているかたちだが、それもいつまで持つか……」
彼女はどうして、自分の命を危険に晒してまで特別な力を行使するのだろう。それさえも、今の状況では分からない……。
「あっ…………それなら、記憶は? 入院した時は大丈夫だったんですか?」
「あぁ、記憶は失っていなかったそうだ。倒れた時にも頭は別に打ってないみたいだから、幽体になったと同時に記憶を失ったのかもしれないな」
「特別な力を使うのを止めさせる……目覚めさせるには、やっぱり記憶を取り戻すことが重要になりますかね」
自身に深く関係するものを見たり触れたりすることで、あやさんは記憶の断片を思い起こしたり、その姿に変化が生じることが分かっている。よくよく考えてみると、あやさんの現在の姿は以前よりも元の飴降さんの姿に近付いているように思える。記憶を取り戻していくことで、少しずつ元の自分に戻っていくとか……そういう感じなのかもしれない。
それらを少しずつ積み重ねていけば、数々の点がいずれ結び付いて、記憶を取り戻す大きな手助けになるかもしれない。そうすれば、どうしてこんな状況になってしまったのかを、あやさん自身が思い出せるはず。本人の意志が働いてしまえば、特別な力の行使も止めて目覚めることだって出来るはず。
俺は、上手くそうなっていくことを願っている。
というか……申し訳ないことに、それしか方法が思い付きそうにない。でもこれまでの経験からして、このやり方でしっかりと手応えは得られているんだ。
今はこのやり方を信じて動いてみようと思う。
「ふむ、とりあえず目先のことから試してみると良いさ。実はな、向こうの親族から予め提案されたことがあるんだ」
「提案?」
「記憶を取り戻す手助けをしたいとのことだ、良ければ彼女とやりとりの出来る火華と共に一度家に来てもらえないかと」
「え? そんな、急に……いやでも必要ですね……」
「ははっ、そう心配しなくても大丈夫だと思うぞ。火華の話をしたら、向こうは以前からの知り合いだって言ってたからな」
「…………へ?」
このあと特に用事もないことから、そのまま俺はあやさんを連れてまた外へと出た。夢津さんが連絡をしてくれて、向こうの都合も良さそうだからと、早速彼女の親族の人と待ち合わせることになったのだ。善は急げとは言うけれど、いくらなんでも……。
「もう、私の家族と会うの? 急展開ね……これで一気に記憶が戻ってきたりとかするのかしら……」
「その時にならないと分からないけど、そうなったら良いよね」
夢津さんからはああ言われたが、やっぱり緊張する。俺は初対面で、誰とでも上手く接して仲良くなれるタイプではないから余計に。
親族の人との待ち合わせ場所に指定されたのは、噴水広場の一角。入り口付近の花壇近くに立っていると事前に告げられたのが……。
「………………」
そこに唯一立っていたのは、とても身長の高い黒髪の人物だった。俺の身長は百七十五センチあるが、それよりも遥かに高く見える。更に目を惹かれたのは、その艶やかな長い黒髪と星雷地区では珍しい少々古めかしさを感じる格好。あれは夕雨地区でよく見る昔の陽厦の人達が主に着ていた衣服……だが、それに該当するのはどうやら上に着た若葉色の羽織というものだけのようだ。下は普通に現代的な黒のスラックスで、革靴まで履いていて、少しちぐはぐとした印象を受けた。ちょっと不思議な人だ……。
俺がなかなか動かないからか、絢さんも困惑し始める。
「待ち合わせって、あの人? あれが飴降さん? 本当に?」
「わ、分からない……でも夢津さんは相手の特徴として黒髪の男性だって言ってたよね……?」
「あれ男の人なの? 腰あたりまで髪長いわよ……」
「でも、あんなに身長が高いし……」
「私が先に相手のこと確認しましょうか? どうせ見えないでしょ?」
「う~ん……」
夢津さんは、俺と待ち合わせ相手が知り合いらしいと言ってくれていたが、改めて見てみても全然そんなことは無さすぎる。一切面識の無い人なんだが……?
しかし、周囲にはそれらしき人物は見当たらないし……こんなところで立ち止まって、ぼそぼそ話しているだけでは何も進まないな。
仕方がない。ここは勇気を出して、俺から声を掛けるしか――。
「あっ、やっぱり柚希くんだ……!」
「え……?」
唐突に、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。驚くことに、声がしたのはまさかの“背後から”だった。しかも、俺はなんだかその声に聞き覚えがある。
真っ先に後ろを振り返ってみると、その姿までもが見覚えのある人物がそこに立っていた。温かそうな厚手のカーディガンを羽織り、柔らかに微笑む男性……彼は刃さんという、正真正銘以前から親交のある俺の知り合いだった。
「刃さん……! 久し振りですね、こんにちは」
「うん、会えて嬉しいよ」
刃さんはサラサラとした黒髪に赤い目が印象的で、女性のように綺麗な風貌をしている。その柔らかな微笑みからは、彼のとても穏やかな人柄をよく感じ取れることだろう。
少し前のことだが、この付近で怪物が出たことがあったんだ。俺はその現場に依兎間の手伝いをするのに協力していて、その時に刃さんは近くに避難していた。そんな刃さんは怪物が討伐されて現場が落ち着いた後に、依兎間の人達のみならず、ただサポートとして動いていたくらいの俺に対してまでも感謝の言葉を丁寧に伝えてくれた。俺はその時のことを、今でも温かく嬉しい瞬間として覚えている。
話を聞いてみると、どうやら刃さんは双子の妹さんが侵黒者で、同じ境遇で必死に頑張ろうとする俺に非常に感心したらしい。その妹さんは現在、昏睡状態にあるという…………。
……ん?
妹……昏睡状態…………?
「あの、刃さん……いきなりですが、もしかして妹さんの名前って“絢”さんだったりします……? 名字も飴降ですか……?」
「? そうだよ。色々気を遣ってくれてたのか、柚希くんはあんまり詳しくは聞いてこなかったから、俺も教えてなかったね」
「はは……本当に…………」
なんて間抜けだ……。
その後、刃さんから正式に待ち合わせ相手がお互いで合っていることを確認した。彼はこんなややこしい自体を避ける為にも先に到着して俺を待っていようと動いてくれたらしいのだが、運悪く信号に引っ掛かりまくってしまい大きく遅れたらしい。
俺も全然見知らぬ他人に声を掛けてしまうところで危なかった、恥をかくところだったじゃないか……。
それで、ふと気になってまた先程に見た人をちらりと探してみると丁度……その人はふわりと若葉色の羽織を靡かせながら噴水広場から去ろうとしていた。そこでようやく正面から姿を確認出来たのだが、なんと彼が羽織の下に着ていたのは紺色のワイシャツで、その襟には小さなピンバッジが輝いている。驚いたのは、それがーー中枢機関に所属する職員を示す象徴だったということだ。正真正銘、あれは中枢の制服だ。
どこか遠い存在のように感じられるのに、以前に助けられたことと言い、中枢の職員さんは結構身近で見掛けられるものなんだな……と思うと同時に、街中に散見される謎の落書きの件について詳細や進展はないのかと、勇気を出して聞いてみれば良かったと後悔した。あれだけ恋羅に頼まれていたのに……時既に遅し、彼はもう遠くへと離れていってしまった。
ううん、今はあやさんのことが重要でそれどころじゃないな。
「じゃあ、柚希くん。早速だけど、絢がそこに居るんだね?」
「あっ、はい! 俺の横に……本当に居ますよ……!」
俺は少々怪しい物言いを飛び出させながら、あやさんの居る真横を示した。恐らく侵黒者ではない刃さんからは見えないと思うが、傍らではあやさんがやや気まずそうにペコッと軽くお辞儀をする。
「ええと……あやさん、この人が会う約束してた親族の双子のお兄さんだよ。刃さんって言うんだ」
「そ、そう…………これからどうかよろしくお願いしますって伝えて。まだ、何も思い出せそうにないけど……」
記憶が無いもんなぁ……予想はしていたので、大丈夫だ。
相手からは見えないのをいいことに、あやさんはそのまま刃さんのことをまじまじと至近距離で観察し始めた。
「絢は、何て……?」
「”これからどうかよろしくお願いします”と伝えてほしいと、あと、まだよく思い出せそうにないと少し困惑してますね……すみません」
「謝らないでよ。そっか、そうだよね。少しずつでいいよ。愛川さんからも急に連絡されて、ちょっと驚いたよ。侵黒者って本当に、神性能力者みたいに特別な力が目覚めるんだ……今の絢の姿だって侵黒者じゃないと見れないなんて、不思議なことが沢山だね……」
親族である刃さんからの反応は思っていたよりもあっけらかんとしていて、俺は逆に安心した気持ちになった。いや、これは夢津さんが事前に丁寧に諸々説明を済ませてくれたおかげか。
それにしても、まさか以前からの知り合いがあやさんの親族だったなんて…………またもや偶然に……そこで、ふと昨日恋羅が溢していた言葉が脳裏を過った。
”なんだか結構上手くいってるみたいだね。ただ、やっぱりトントン拍子で上手く事が進みすぎな気もするけど……。”
恋羅は警戒し過ぎだなんて思ってたのに……実際にここまで順調にいくと、流石の俺でもこの運の良さを疑わざるを得ない。
これまでの一連の出来事すべてを偶然と片付けるには、俺と彼女との縁はあまりにも深い。まるでこうなることが必然であったのかと錯覚してしまう程に、奇妙な偶然が重なっていって、順当に進んでいく。
夢津さんから教えてもらった話を加えて時系列を整理していくと、まず推定あやさんである飴降絢さんは、あの例の路地で怪物に襲われて侵黒者となった。
その後一週間の入院を経て退院、彼女はその足でまたあの路地を訪れて、その時に俺と彼女が出会ったと思われる。そこで一緒に、彼女が落としてしまったピンを探してあげたらしいんだ。どんなやりとりをしたのかは分からず終いだが、妹の水無月によれば俺はあの落とし物であるピンを連日必死に探してようやく見つけた末に、大切に綺麗にして“やっと彼女に渡せる”と喜んでいたらしいのだ。
それなのに唐突に会えなくなった理由は……自宅で倒れて昏睡状態になってしまったからだと、今もう判明した。いつになってしまうだろう、彼女にこの探し物をいずれしっかりと渡してあげたい。
そして――倒れて昏睡状態となった飴降さんは自身の目覚めた特別な力を以てして、幽体となり記憶を失いながらも再び同じ路地に辿り着く。そこで、俺がまた彼女のことを見つけて出会った。
事の大まかな流れは、大体こんな感じになるだろう。
最初から、偶然ではなかったんだと。
情報が揃ってきたことで、ようやく理解してきた。
ただ、不思議なことに……こんな奇妙な偶然の連続で戸惑いはあれど、今後の行動を再考する迷いは俺に生じなかった。この感覚はなんだか、何かが俺達二人を上手い具合に進めるように導いてくれているみたいだと……漠然とそんな考えが浮かんできたんだ。
それに、俺の手元には今や灯様の加護が宿るお守りがあるじゃないか。友人も貴重なものだと言っていた、これがあるから……そこまで悪い事態に繋がることを恐れてはない。
自分の感覚を信じて、今は突き進んでいってみよう。