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​◆1.衝撃の出会い(1)

 十一月の下旬。

 もうそろそろ、秋から冬へと季節も移り変わろうとしている。

 外の空気はひんやりと冷えていて、頭上では明るい陽の光が街全体を射していた。視界が慣れないうちは少々眩しく感じたが、陽の光は冷える身体にほんの少しの暖かさを与えてくれるようでなんとも心地が良い。

 今日の昼は、清々しいほどの青空だった。

 

「…………」

「柚希? 大丈夫?」

「あっ、ごめん! ぼーっとしてた……」

 

 どうやら無意識に立ち止まってしまっていたようだ……俺は恥ずかしくなりながら、友人に対して苦笑いを漏らした。

 今日の授業が終わり、俺は友人と共に学校の校舎から外へと出て帰るところだった。もうすっかりお腹も減っていて、頭の中ではこれからの昼食のことがちらついている。

 俺の横を並んで歩く気怠そうな茶髪の友人は、咲雪恋羅という。お互い幼い頃から家族ぐるみで親交があり、俺と恋羅はわりと長く一緒に過ごしてきた幼馴染みだ。途中疎遠になることもあったが……有り難いことに、今はこうして仲良くしてもらっている。

 

「体調悪くない? 何かあったら、すぐに言ってよ……」

 

 恋羅はその赤い目で、心配そうに俺を見ていた。そんなに細かいところまで、気にしなくていいのに……。

 

「平気だよ、大丈夫だから。もうだいぶ寒くなってきたな」

「……そうだね。風邪引かないようにしないと」

 

 勿論この寒さに耐えられるように、今の俺は長袖の上に黒のコートを着込んでしっかりと温かい格好をしている。対する恋羅は黒のタートルネックに、厚みのある灰色のパーカー……そこにマフラーと手袋をして、俺よりもきっちり防寒対策をしていた。とても暖かそうだ。これと比べたら、俺の格好は多少心許ないか。

 

 二人で何気ない話をしながら学校の敷地を歩いていると、目の前でひらひらと桃色の花びらが降ってくるのが見えてきた。校門の側に植えてある、一本の大きな桜の木からだった。この桜の木は品種改良が為されているらしく、今が春でなくても、季節に関わらず一定の周期で桃色の綺麗な花を溢れんばかりに咲かせている。

 ここに通う学生達への贈り物である、この特別な桜の木はまさに、うちの学校名の『桜日(さくらび)』に上手く掛けたような存在感のあるシンボルとなっていた。

 今は丁度開花をしていて、俺はその花びらがそよ風に揺れる光景を見るのがとても好きだ。あまり風が強いと早く散ってしまうから、今吹いているこの寒風もあまり酷くならないといいな。

 

 そんな感じでのんびりと歩みを進める俺達とは打って変わって、お次は後ろから一人急ぐような足音が駆けて来るのが聞こえた。足音の主はあっと言う間にこちらを越していくと、俺達に気付いたようで振り返ってくる。

「柚希~! 恋羅~! また明日な~!」

「あっ! 理途夢……! また明日!」

 

 元気に声を掛けてくれたのは、同級生の舞風理途夢だった。

 彼の緑色の綺麗な髪は肩にギリギリつくような長さで、それを下の方で結わいている。理途夢は金色の目を輝かせ、とても明るい笑顔でこちらに一度大きく手を振ると、すぐに先へと走り去っていってしまった。彼の活発さは、こんな寒さでもハーフパンツ姿で走り回っていることからも分かるだろう。上に着ているジャージが、ちゃんと暖かいと良いんだけど……。

 

「ちょっと待ちなさいって! あんた急ぎ過ぎよ!」

 

 続いて理途夢を追うようにまた一人が走っていった。先ほど見たような、緑色の綺麗な髪が風で靡いている。彼女は理途夢とは少し色の違うジャージを同様に着ていて、下は白のスカート姿。

 彼女の名前は舞風緑で、理途夢とは双子の姉弟だ。同じ緑色の髪は理途夢よりも少し長さがあるが、彼女の方は結わいておらず、更にその前髪にはキラリと輝く音符型の黄色いピンが着けられている。

 

 緑の張り上げた声に気付いた理途夢は、一瞬だけ振り向くと「だって腹減ったからさ! ラーメン食おうぜ!」なんて元気に返してから、またすぐ先へと走り去って行ってしまった。それを見た緑は「だから、待ちなさいっての!」と再び怒鳴るしかない。彼女はだいぶ苦労していそうだ……。

 実を言うと、二人の言い争いは日常茶飯事。双子でよく顔は似てはいるが、性格は全然異なる。故に衝突が絶えない。それでも二人の一切遠慮の無い関係性からは、姉弟としての仲の良さがよく窺えて、俺はいつも微笑ましく思っている。

 俺達の目の前に居た緑は、先を急ぎつつ「じゃあね!」とこちらに笑って挨拶をしてくれた。それに対して、俺達も笑って手を振り返す。ここまでわずか数秒程のやりとり、そんな感じで慌ただしくも微笑ましい双子の姉弟は風のように去っていった。

 

「はぁ……本当に元気だよね。柚希はお昼どうする? 僕は適当に買って食べるよ……コンビニ行こうかな」

「じゃあ、どうせだし俺もそこでお昼買うよ」

 

 そうして、俺達もようやく学校を後にしたのだった。

 

 その後は二人で何気ないことを話しつつ、数分道なりに歩いた先にあるコンビニに寄って昼食を買った。普段学校の後の昼食に関しては、事前に弁当を作って持ち歩くか、一旦帰宅して自分で作ったりするのだが、たまにはこうやって楽をしてみるのも悪くない。

 俺は鮭とツナマヨのおにぎり二個とサラダに、寒いので温かい飲み物を選んだ。そして……カップに入った可愛らしいスイーツ二つも追加で。俺が買い物かごへと次々に商品を入れる一連の動作を眺めていた恋羅は、終始困惑するように眉をひそめていた。

 誤解の無いように釈明しておくが、俺の食事量はわりと普通だ。この反応は恋羅が酷く少食なことが理由となっている。決して俺の食い意地が張りすぎて、ドン引きされているわけではない。

 

「そんなに食べるのに……デザート二つも要る?」

「あはは……どっちも美味しそうだから、選べなくて」

「柚希は本当に甘いものが好きだね」

「恋羅こそ、本当にそれで足りるのか?」

「うん、そろそろ肉まん食べたかったんだ」

 

 恋羅が昼食用に買ったのは、レジ横で売っている肉まんと甘い飲み物だけだった。これは……多くは食べられないにしても、やっぱり量が少なすぎて心配になる。恋羅がこんな感じなので俺もついつい世話を焼きがちで、なんだかお互いに心配しあう奇妙な関係が出来上がりつつあるかもしれない……俺も結局は、恋羅に心配してきすぎだの文句を言える立場ではなさそうだ。

 

 買った昼食はまた道なりに進んだ先にある大きな広場で、二人並んで白いベンチに座り、ゆっくりと食べた。俺達の周囲には、他にもたくさんの人が雑談したり各々楽しそうにして賑わっている。

 この広場は俺もお気に入りで、よく立ち寄っている……中心に設置された大きな噴水を名物とした、住民達の間でもかなり人気な憩い場だ。通称がそのまま、“噴水広場”である。

 広場の白く綺麗なタイルは陽の光を反射して輝き、大きな噴水がバシャバシャと飛沫を上げて、広場全体に涼しげな音を響かせている。そこから放たれる冷気は夏ならばともかく、今の時期は暖かい格好をしていなければ、とにかく鳥肌が立ちそうな寒さを感じてくる。しかしそれは些細なことだ、こんな綺麗な場所に冬の間だけは立ち寄らないなんてのは、とても勿体ない。

 数十分後……二つ目であるスイーツの最後の一口を頬張ったところで、俺の頭の中には次の予定が浮かんでいた。そう、今日は大事な“検査”の日だった。昼食を全て食べ終わり一息ついてから、俺はゴミをコンビニ袋の中へと綺麗にまとめながら、一応恋羅にも声を掛けてみることにした。

 

「恋羅。俺、今日検査があるからこのあと病院行くけど……」

「ん? ああ……僕も今日だよ。良かった、面倒だけど行こうか」

「面倒って……すぐに終わるじゃないか」

「すぐ終わるとか、そういうことじゃないでしょ……はぁ……」

 

 検査。俺達は、定期的にソレを行う必要があった。

 その大事な“検査”を行う星雷中央病院は、ここ[星雷地区]において一番大きく設備の充実した病院だ。今居る噴水広場からはそこまで離れていない、せいぜい歩いて十数分程の距離にある。

 

 それから俺達は揃って病院へ着くと、受付に向かって簡単な手続きをし、別室に移動してから順番に検査を受けた。検査内容は採血のみで、ものの数分で結果も出る。ちなみにこの採血は、一般的な健康診断でやるものとは検査する項目が異なるので、食後でも問題は無い。その後は結果に基づき軽く問診と、自分用に調整された薬をいくつか貰って完了だ。

 このように始めから終わりまで大して時間は掛からないため、定期的にやらないといけないとしても、俺は特に大変だとは思っていなかった。何より自分の身体のことだ、しっかり確認はしておかないと。

 その後……無事にお互い検査が終わり、再び恋羅と合流した。

 そこまでは良かったのだが、俺は検査前と比べて明らかに恋羅が浮かない顔をしていることに気付いた。その理由に心当たりはあった、恋羅は注射が嫌いだから……。

 

「恋羅、やっぱり今回も注射痛かったのか……?」

「……いつも痛いんだけど、痛くない注射とかある?」

「そっか…………あっ!」

「なに?」

「せっかく病院まで来たから、隣の研究所に行って夢津さんにノート渡そうと思ってたのに……肝心のノートを忘れてきたみたいだ」

「あぁ、律儀に記録してまとめてるやつね。別にいいじゃん、また明日来よう」

「うん……じゃあ、もう用事は済んだし帰ろうか……」

 

 ぐいっ。

 そう言ったところで、不意に恋羅が俺のコートを引っ張った。これは、実の妹にもよくされるので慣れている。掴みやすいのかもしれない。呼び止めてくれた方が助かるんだけどな。

 

「恋羅、どうした?」

「…………あのさ……柚希、本当に体調は大丈夫? 別に悪くなってたりとか、してないよね……?」

 

 ……問い掛けられた声は、随分と弱々しく小さい。昼の下校途中で心配された時と今の状況では、明らかに言葉の重さが違うとすぐに分かった。その声色から予想していた通り、恋羅はいつものポーカーフェイスから悲しそうに眉を下げた表情になっていた。

 そうか、さっきの浮かない顔の原因はこっちだったのか。

 

 もう、これで何度目になるだろう。

 恋羅は普段から俺の体調に関することに敏感で、些細なことでも何かあれば逐一気に掛けてくる。それこそ、今日の学校帰りに俺がぼーっとしているだけでも心配してきたように。

 それは俺達の間で過去に起きた“とある出来事”のせいだった。

 恋羅からの心配や不安の言葉は……俺にとっては周りの人達から掛けられるものとは重みが全然違う。俺は毎度、とても悪いことをしてしまっているような心苦しさを感じた。

 これ以上、心配させたくないというのが俺の本心なのに。

 

「……恋羅、大丈夫だよ。俺は元気だし、検査結果も大して変わらないよ! 比較的落ち着いた状態なんだって。ほら、薬もそんなに多くないし……」

 

 俺はどうにか恋羅を安心させようと、笑いかけながら少し膨らんだ自分の肩掛け鞄を軽くぽんぽんと叩いた。しかし……そんなことでは全然納得いかないようで、恋羅は眉をひそめ浮かばない表情で俺のことを見つめていた。完全に暗い空気になっている。

 段々と苦笑いになってきた俺は、沈黙する恋羅からの鋭い視線を数秒ほど受け続けた。気まずい。

 それから少しして俯き始めた恋羅からは、「はぁ……」と小さな溜め息が吐かれた。呆れ返るような態度……それは俺に向けられたものかと思って一瞬ビクついてしまったが、その後に続けられた言葉は予想外のものだった。

 

「こんな検査、意味ないよね。僕達は結局、遅かれ早かれ“駄目”になるのは変わらない……治す気なんて無いんだ」

「えっ……」

 

 恋羅から、半ばヤケクソに愚痴るような悲観的な言葉が続けて吐き出されたのだ。それに俺は衝撃を受けた。

 だって……恋羅が、俺の目の前で現状に対する不満をストレートに言うなんてこと今まで一度も無かったから。恐らくだが、すぐに感化されやすい俺に気を遣って、普段は悲しくなるようなことは言わないようにしてくれていたのだと思う。その制御が、今では完全に崩れている。

 この短い間に、何があったのだろうか。或いはもういい加減、検査の採血が嫌すぎて限界になってしまったのか。とにかく、これは恋羅の精神状態が今まさに悪い方向へと向かっているサインのように感じた。

 このままでは確実に良くないと、俺は悟った。とにかく、慎重に言葉を選びたい。これ以上、事が荒立たないように。

 

「恋羅……あ、あんまり悲観的になっちゃ駄目だよ。きっとどうにかなるから。俺も、もっと頑張って……」

「何で、柚希が頑張らないといけないの? 柚希だって被害者なのに、そんなのおかしいよ。“怪物”も未だに暴れまわり続けて……もうあれから五年も経ってるのに、何も解決しない。僕達“被害者”は、束の間の安寧とただの時間稼ぎでしかない薬だけ渡されて、その先どうなるの?」

「それは……」

 

 ……捲し立てる恋羅に、俺はただ気圧されるしかなかった。全然、言い返せない。俺だって、全然分からないから……こんな風に停滞する日々がいつまで続くのか、この先どうなっていくのか。

 

「……ごめん柚希、良くないこと言った。でも僕は、本当に……こんな世の中が許せない。無力な自分のことも……君は僕のせいで……」

「!」

 

 恋羅から飛び出した最後の一言に、俺はぎくりとした。

 自分を責め立てる言葉……違う、そんなこと言わないでほしい。

 そう言いたかった、でも俺は口に出す勇気が出せなかった。言ったところでどうなる、俺には今の恋羅を説得する自信は無かった。

 本当に無力なのは……本当に悪いのは…………。

 

「………………っ」

 

 息が、苦しい。

 どんどん身体に感じる空気が、冷えていくようだった。体温が下がって、あまりの寒さに震えてくる。俺の顔からはもう、先程まで頑張って浮かべていた笑顔がすっかり消えていた。

​© 2018₋2025 Amayado

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