
◆4.自分に出来ることを(1)
約四時間後。
時刻が十二時を指した時に、ようやく全ての授業が終わる。俺はだいぶ浮き足立っていて、先程まで受けていた授業の内容なんてもうすっかり端の方へと追いやられていた。いま頭の中を占めるのは、一人にしてしまっている“あやさん”のこと。ひたすらに気掛かりだった、何も問題が起きてないといいけど……。
これからの予定としては帰ってから、まずはあやさんと合流して……お腹も空いたし、昼食を食べながらまた恋羅も交えて今後について話し合ってみよう。水無月が作ってくれたサンドイッチ、本当に美味しそうだったから食べるのが楽しみだ。
「…………」
隣の席に座る恋羅へと目をやると、すっかりお疲れ気味なようで、少し俯いた姿勢でうとうとしていた。
昨日あまり寝なかったのか、それとも今朝に俺と登校するため早起きしてくれたせいか……その状態からなかなか動く気配がなかったので、流石に見かねた俺は恋羅の肩を優しく揺すってみて、一言「帰ろう」と声を掛けた。すると少々不満げに、小さく唸るような声を発した恋羅がようやくのそのそと帰る準備をし始める。本当に、今では一人で全然生活出来なさそうで不安になるな……。
周りの同級生達は、早くも少しずつぞろぞろと教室を出ていく。
その途中……後ろから一際大きく、ガタッと席を立つ音がした。教室中に響き渡ったのは、理途夢の元気な声だった。
「は~、終わった終わった~! お腹ペコペコだよ! ラーメン食いに行こ~!」
「…………昨日と同じこと言ってない? 恐いよ……」
なんとも怪訝そうに、ボソッと理途夢へとツッコミを入れる恋羅の声が、横に居る俺にだけ聞こえた。ちょっと、吹き出しそうになって危なかった……良いじゃないか、ラーメンが好きなんだよ。
理途夢はそのまま教室を飛び出して行ってしまった。
昨日と同じ様に、その後にまた彼の双子の姉である緑が続いていくかと思っていたのだが……緑は荷物の入った自身の鞄を提げてから、ゆっくりと俺達の元へと近寄って来た。一度だけ教室の出口を見やった緑の表情は、呆れるような苦笑いだった。理途夢を追いかけなくて良かったんだろうか?
「緑……理途夢また先に行っちゃってるけど……?」
「いいのよ、勝手に一人でラーメン屋行くだけなんだから。あたしは流石に二日連続でラーメンはキツいし、帰って適当に何か食べるわ」
「そっか。ちょっと、大変だね……」
「もう慣れたわ。それで……その、柚希……最近はどう? 何か悩んでたり、困ってたりすることはないかしら……?」
「え? 悩んでること……」
緑からの思いがけない質問に、俺はきょとんと目を丸くしてしまった。まさか緑にまで心配されるようなほど、俺の今の状態は良くないように見えるのか……?
何故だが恋羅も荷物をまとめる手を止めて、俺と緑のやりとりを気にするようにじっと眺めているようだった。異様な空気になっている。俺は瞬時に、恋羅からの鋭い視線を手でも使って遮りたい衝動に駆られた。それくらい、緊張してきてしまう……。
う~ん、確かに色々考えることはあるが……やっぱり怪物のことが一番の悩みで困り事だろうか。だけど、それを同じ被害者である緑へと言うのも違う気がする……。
質問されてから実に数秒ほど悩んでしまっていると、目の前の緑から柔らかな笑みが溢れた。
「いきなりごめんなさいね、あたし達にはそもそも大変なことが沢山だものね」
「いやいや! えっと、考えてみてたんだけど……やっぱり俺は怪物のことばっかりだよ。でも、元気だから大丈夫! ちなみに、どうしてそんなことを……?」
「あっ、そんなに深い意味は無いのよ……! 柚希はいつも沢山頑張りすぎちゃってるように見えるから、ちゃんと休めてるのか心配になったの……でも、元気なら良かった。恋羅も側で気にしてくれてるだろうし、余計なこと聞いちゃったわね」
「ううん、心配してくれてありがとう。声を掛けてもらえただけでも、十分嬉しいよ」
「そう、あたしもそう言ってもらえて良かった。それじゃあ……もしこれから何かあったりしたら遠慮なく、あたしや理途夢にも相談してくれていいからね。一人で抱え込んじゃ駄目よ。また明日! 恋羅もね!」
「僕はついでなんだ……」
緑は最後ホッとしたように、胸を撫で下ろして去っていった。
緑とはよく気が合い、学校で話すことが多い。お互いに弟か妹が居て似た立場にあるからだろうか……考え方が近いのかもしれない。
それに緑も甘い物が好きみたいで、スイーツの話題でも盛り上がる。先程のように、俺は日頃から緑の温かな優しさに度々救われているように思う……良い友人に恵まれて有り難い限りだ。
「緑にまで心配されちゃって……たまにはゆっくり休んだ方が良いんじゃない? 昨日の寒さで風邪引いてたりしてないよね?」
うっ……せっかく心が温かくなっていたところなのに、すかさず恋羅の鋭いツッコミが飛んできて俺は我に返るのだった。
「はぁ……いや、昨日帰ってからしっかり体は温めて、早寝もしたから問題ないよ。毎日健康的に過ごしてるし、休息は足りてると思うけど。俺よりも、恋羅だろ」
「はいはい……じゃあ、僕達も行こうか。まずは、あやさんと合流?」
「うん。あと、研究所にも行けたら……」
「あぁ、渡すものがあるんだったね。僕もついていっていい?」
「いいのか? 一人だと心細いから、嬉しいよ」
「うん。お昼はパン持ってきたから、そのままいける」
「…………」
これは……恋羅のリュックから、ひょいっとつまみ出されたたのは小さな菓子パン一つ。これが、お昼ごはんだって……? いつものことながら、やっぱりこんなに食事を少量しかとらないのはいただけない。
幸いにも、今日はとっておきの切り札がある。そう、今朝に妹の水無月が、俺の昼食用にと大量に作ったサンドイッチだ。というか、大量すぎて助けて欲しいという願望も僅かにある。
勧めてみよう!
「恋羅? 実は今朝……“みな”がサンドイッチ沢山作ってくれたんだ。良かったら、それを一緒に食べないか? 具は斜め切りしたソーセージが入ったスクランブルエッグに、マスタードとケチャップをトッピングしたやつなんだけど……ホットドッグのサンドイッチ版みたいな。どうかな?」
ちなみに俺が今言った“みな”とは、妹の水無月の愛称である。うちの家族は皆、こう呼んでいたりする。
さて、恋羅の返答は……?
「またいつものおすすめ……でも、美味しそうだね。じゃあ、少し貰おうかな」
えっ、やった! 上手くいったぞ!
一応恋羅は水無月とも交流があり、仲は良好。小さい頃は、よく三人で遊んだものだ。ちなみに水無月相手だと、いつも暴走気味な恋羅も頭が上がらないらしい。
そんな水無月の手料理は、以前から恋羅にも好評なんだ……良かった。俺は嬉しすぎて、思わず満面の笑顔になった。それを見てか、恋羅も柔らかく微笑む。
「うん! 良い匂いだったし、絶対に美味しいよ! じゃあ、まずは家でお昼と……あやさんとも合流だな。ちゃんと話そうな!」
「分かったから……」
あんまり、あやさんを待たせても良くない。俺と恋羅は荷物をまとめ終わると、一緒に教室を出た。
今朝の登校時には考え事をしていてあまり見ていなかったが、昨日の強い寒風の影響か、校門あたりには散り散りと桜の絨毯が出来ていて、あれだけ綺麗に花びらが揺れていた桜の木は少し寂しくなっていた。
それからは少し疲れた感じの恋羅を引き摺りながら、昼時で通行人や道路を走る車が賑やかになっている大通りを足早に歩みを進めていき自宅へと戻った。これからのことが、上手くいきますようにと心の中で祈りながら……なんだが、不安が過る。
その不安が的中してしまったのか、早速問題が発生。
俺は、自宅の前で呆然と立ち尽くすことになった。
「……居ない…………」
恋羅と共に、無事に家には着いたものの……そこには昼に合流する約束をしていた筈だった、あやさんの姿は無かった。現在の時刻は十二時二十分。辺りを見渡してみるも、本当にどこにも居ない。
「え? 居ないの? 幽霊って聞いたから、てっきり僕が見えてないだけかと思ったんだけど……」
「いや、本当に居ないんだ。おかしいな……ちゃんと昼頃には戻るって言ってくれたのに」
俺は予定が崩れそうなことよりも、あやさんが無事なのか心配する気持ちがどんどん強まっていた。視界が暗くなっていくような感覚だ……何か、問題が起きたのだろうか?
それか、悪いことに巻き込まれたんじゃ……?
頭を埋め尽くしていく不安と心配な気持ちは、段々と俺から冷静さを奪っていくような感じがした。落ち着け……考えるんだ。
「柚希……一度、家の中も確認してみれば? 幽霊なら勝手に入れるだろうから、中で待機してる可能性もあるよ」
「あっ……そ、そうだな! うっかりしてた、ありがとう。確認してみて、それでも居なかったら、また近くを探すしかないかな……真っ赤なワンピース着てるから、見掛けたらすぐに気付くと思うんだけど。あと家のなか確認するついでに、昼に食べるサンドイッチ包んで持っていくよ! そこで待っててくれ!」
「うん、分かった。僕は大丈夫だから、そんなに焦らなくていいからね」
「……っ、ありがとう! 行ってくる!」
丁度、焦りがピークに達してあたふたしていたところに、恋羅の優しい言葉が沁みた。俺一人じゃなくて良かったとしみじみ思う。大丈夫……落ち着いて行動しよう。
俺は、はやる気持ちをなるべく抑え込みながら足早に家の中へと入ると、まずは家の中のあらゆるスペースを順番に捜索した。
「あやさん……! 帰ったよ! 居る……?」
声掛けもしながら回ってみるが、反応は無し。
俺が帰宅しても何も起きないことから薄々察してはいたが、その後やっぱりあやさんが見つかることは無かった。
家の中に居ないのだとしたら、やっぱり外か。どうしたんだろう、まさかまた迷子に……?
……やっぱり、一人にするべきじゃなかった。
今は嘆いていても仕方がない……次に俺は台所へと向かい、冷蔵庫から皿に敷き詰められたサンドイッチを取り出した。本当に沢山だ。これくらいの量になってくると……俺の鞄には入りそうにないし、新しく大きなタッパーに移動させ敷き詰めてから、持ち出し用の籠を引っ張り出してきた方が良さそうだな。
俺は台所の端に備え付けてある棚を開けて、その下の段から茶色の籠を引っ張り出した。大きめのタッパーも見つけた、これなら十二個もあるサンドイッチでも入る筈……俺はまたすぐに台所のシンク横の台で、更に盛られた三角のサンドイッチを丁寧に交互に敷き詰めていった。うん、少々ぴっちりしてしまってはいるが、どうにか入った。これを一応可愛らしい柄の風呂敷で包んで、籠に入れたら……出掛ける準備は完了だ。
「…………」
恋羅を待たせているし、また外に戻ろう。
そうだ。あやさんと入れ違いになっても困るから一応、家の玄関先にはあやさんがすぐ分かるように書き置きを残しておこう。
怪しまれるから、妹の帰宅前には回収しないといけないが。
よし。
「あやさんは、居なかったみたいだね」
「うん……約束したのに、戻ってきてないのは心配だよ。申し訳ないんだけど、研究所に行く途中で少し探してみても良いかな?」
「勿論。僕も見えるか分からないけど、周り見てみるよ。……サンドイッチは、その籠に入れたの? なんだかピクニックみたい、それ僕が持つからもう貰ってもいい?」
「良いよ! 歩きながら食べるのか? 喉に詰まらせるなよ」
「水筒持ってるし、大丈夫……ありがとう」
俺と恋羅は住宅街を出て、再び大通りへと戻った。
次の目的地は昨日に行き損ねた、星雷中央病院の横に建つ研究所。俺はそこに居る人物に、渡す物があったのだ。せっかくだし、その人にも昨日あった色々な出来事に関して、何か知らないか聞いてみても良いかもしれない。
道中であやさんも探してみる……昨日彼女と出会った路地の横を途中で通り過ぎることになるから、あやさんが居ないか覗いてみるのがいいかもしれない……。
しかし数分歩いてみて、どこにもあやさんの姿が見当たらなければ、やっぱり路地にも居なかった。
「ここにも居ないな……どこ行っちゃったんだろう……」
たまらなく不安になってきた、彼女がまた一人で悲しい思いをしていたらどうしよう。もしくは……考えたくないが、約束を果たす前に消えてしまったとか?
それだけは駄目だ……。
「ここって確か、先月に大型の怪物が出たところでしょ? もう倒されてるけど、柚希はよく入る勇気あったね」
「たまたまだよ……覗いてみたら、偶然あやさんが居たから。あんな所で一人なんて無視できないし。あやさんは、ここで“焦ったように走る誰かを見た”って言ってたんだ……それは失われた記憶の断片かもしれない。あんまり、良い記憶ではなかったみたいだけど……」
「……ここって最近は目立った事件とかは起きてないんだよね。やっぱり先月の大型怪物関連になるんじゃない? あれは怪我人が複数出たって聞いたし、もしかしたら、あやさんは怪物から逃げてる人を見たとか?」
「あぁ! なるほど……背後から怪物が迫ってきてて、他の人と一緒に逃げてたとか考えられかもな。やっぱりあやさんは、被害者なのかな……でも、何で幽霊になっちゃったんだろう……」
「怪物騒動関連で、死者が出たことはないみたいだからね。まだ全然分からないよ」
昨日とまた同じで、俺は恋羅と一緒に病院の方へと足を進めた。
病院に着いてからは、同じ敷地内にある横の建物へと向かった。
この建物は星雷中央病院に付属する、これまた大きな研究所となっている。主に医療分野の研究を中心としているらしい。
普通は所属している研究員しか立ち入れないのだか、俺達はとある事情で特別に許可を貰っていた。その事情というのは、知人の研究への協力だった。