
◆4.自分に出来ることを(3)
立ち上げられた画面に開かれたのは、一般的なネットの検索ページ。夢津さんはそこにキーボードを使って、素早くいくつかの単語を打ち込んでいった。なるほど、そうやって組み合わせると調べたいことを的確に絞っていけるのか……勉強になるな。
「あっ、夢津……それは僕が柚希から頼まれた仕事なのに」
「そうなのか? まぁ、良いじゃないか。ほら、ヒットしたぞ」
不満を垂れる恋羅の横で、夢津さんの操作するマウスのカーソルが置かれたのは、検索結果の一番上に表示されたとあるホームページの記事の一つ。クリックで詳細を見てみると、まず目に入ったのは……“陽厦中枢機関”という文字。なんとこれは“中枢”のホームページのようだ。内容が気になってきて、俺も二人の間に入って画面を覗き込んだ。
「多分これだな……俺の記憶だと、落書きの話題が上がって少ししたら中枢から公式に発表がされたんだ。このネット上だけでな……一般的なメディアには出ていないと思う。大事にしたくなかったのか、色んな所に予め根回しして止めてたんだろう」
なるほど。じゃあ、俺が落書きの件を今まで知らなかったのも無理はないか。俺は昔からテレビばかりで、全然ネットなんて見る機会無かったからな……ちょっと、個人的には安心した。
「夢津、それ何て書いてあるの?」
「五年前の記事か……驚いた、どうやら俺が見た時から続報が未だに出ていないらしい。今ざっくり読んでみるから待ってくれ……」
その後の夢津さんによる、中枢から発表された落書きに関する声明についての説明をまとめると……落書きの存在は中枢でも確かに確認出来たこと、それは地区を問わず街中の至る所に見受けられて、現時点では少なくとも五十箇所もの場所にされているとの報告がされているらしい。
また中枢が詳しく調査したところ、落書き自体に危険性は無いとのことだった。ただし、いたずらにしては規模が大きく拡がる過剰な行為であることから、中枢でも今後引き続き調査と犯人の捜索を進めていく……公式発表の内容はざっくりとこんな感じで終わっていた。夢津さんが言った通り、これ以降は暫く進展が無いようだ。
しかも、一番気になっていた“落書きは侵黒者にしか見えない”らしいという点に関しては、その文章内では最後まで触れられることが無かった。これは単純に、侵黒者への配慮だろうか?
それにしたって、これはちょっと……。
「本当に、これだけなんですか? 落書きも放置されたままだし、完全に忘れ去られてません……? こんな説明で納得出来ませんよ」
「ああ……単純に考えればあの落書きは中枢として対応する優先順位が低いのかもしれないが、たかが落書きに対してやけに表沙汰にならないように対応しているのが気になるな。俺はもうこんなの忘れかけてたが、改めて見てみると不明瞭な部分が多い……」
「怪物のことで手一杯なんじゃない。それかまた民間人には何か隠して、内輪だけでこそこそやってるんだ……はぁ、やっぱり中枢って無能……あっ、言わない約束なんだった。待ってて柚希、僕がこれからもう少し調べてあげるからね」
「あぁ、うん………………ありがとう」
…………なんとも微妙な空気になってしまった。
昨日、俺が道路に飛び出しかけた時に職員さんと遭遇したが、“中枢”とは正式名[陽厦中枢機関(ようかちゅうすうきかん)]の一般的な呼び名だ。“中枢”と言えば伝わるほど一般的な存在となっているこの機関は、この都市【陽厦】の中心地に建つ大きなビルを本拠地としている。その大きな機関内は、こと細かく複数の部署に分かれているそうで、多くの職員が働いているようだ。
【陽厦】での物事の多くはこの中枢が作り上げた大規模な基礎情報システムを用いて適切に管理と運用をされており、それを基にして他関係各所と綿密に連携することにより、どうにかこの都市は上手い具合に破綻せず回っている。分かりやすく例えるなら、中枢はこの都市において人間でいう“脳”のような役割を担っているように思う。こう言ってしまうと、やや独裁的で人々が考えを放棄しているように聞こえてしまうかもしれないが、全てが中枢の管理下に置かれて思うがままにされているわけではない(と思う)ので、安心してほしい。あくまで、この都市を先導していく代表者のような存在だ。
そして中枢は、より良い都市運用の画策も行っている。基本的には機関内での情報収集と、区役所を経由して送られる住民からの様々な意見を元に、現状から改善出来るようなことがあれば各現場での意見交換などして、少しずつでも人々が快適に安心して生活出来る街にしようと尽力してくれているようだ。勿論、こんなに沢山の人が住んでいるんだ……なかなか全員が快適で幸せな環境というのも難しいだろう。中枢を良く思っていない人も、少なからず居るように見受けられる。実際に、恋羅なんかも不満を抱いているし……。
それでも中枢が、多くの人々から手厚い信頼を置かれ続けているのは、これまでの実績があるからだろう。
ここ最近だと、やっぱり「怪物騒動」に関する対策が目立っている。まず現場状況を迅速に把握する為の職員が各所へ派遣され、街中には都市の保安組織である[依兎間(いとま)]の戦闘員が人々の安全確保の為に特別配備されたりなどしている。
それから神出鬼没である怪物への対抗策として、彼らの出現時に真っ先に気付けるようにと探知機の開発も早期に行われた。昨日見掛けたように、今では実際に活用されて役立っている。更に怪物の出現情報は、専用サイトやアプリを通じて早期に身近に知ることが出来るようになっている。あとは……怪物による被害者の医療費は全て、中枢が肩代わりしてくれているとか。このように、急に出現し始めた怪物へのあらゆる対策は、ここ数年で俺達の日常へと完全に組み込まれていった。
ただ……いくら多くの対策を講じても、結局はそれが完全に解決しなければ意味が無い。探知機だって怪物が出現し始めないと反応しないため、被害を完全に防ぐことも難しい。一向に真相解明と収束がされずに五年の月日が経っているのが現状だ。これまでの中枢への信頼は……今まさに揺らぎ始めてしまっているように思う。「怪物騒動」とは、それ程までに難しい問題なのかもしれない。
話を戻すが、やっぱり中枢ほどの組織がただの落書き程度でこんなに手間取るものなのか疑問だ。まさか、この落書きが「怪物騒動」レベルの重大事件なんてことは信じたくないし……どんどん謎の落書きが放置されて増えていくことにも少なからず危険性を感じる。だって、あの落書きを書いているのは……。
「不気味なことには変わりないが、お前らはどうして急にこれが気になったんだ?」
「あっ! その……俺が昨日見たんです、例の落書きの近くに怪物に似た生き物が居るのを! さっきのノートに描いてありましたよね? それが例の落書きを書いて回ってるみたいなんです」
「こいつが? はぁ、火華は冗談なんて言わないだろう……そうだとしたら厄介なことだな。探知機に引っ掛からない怪物が、大量に落書きをして回ってるなんて」
「はい。元々は、知り合いから教えてもらって……あっ! もう一つ、夢津さんに聞きたいことが! 最近、ここら辺で赤いワンピースを着た女の子を見掛けませんでしたか!?」
「赤いワンピース? 今の季節でか? それって幽霊の類いじゃないよな……」
「えっと……実はそんな感じだったりします……」
俺は夢津さんにも、“あやさん”のことを大まかに話した。
「幽霊の女の子が迷子になってる? しかも記憶喪失? はー、とんでもないな……」
「はい、嘘じゃないんですよ! 本当に、本当に居て……俺はその子を助けてあげたいんです。あの、先月に向こうの路地で大型の怪物が暴れ回ってますよね……彼女には、件の路地でのあまり良くなさそうな記憶と思われるものが少し残ってたんです。もしかしたら彼女はそこでの被害者だった可能性があるのかなと俺は推測していて、あの路地での出来事から失われた記憶の手掛かりに繋がるかもしれないと考えてるんですが……どうでしょうか……?」
「なるほど。確かに最近あの周辺では、怪物騒動以外に目立った事件は起きていない。ただ、怪物騒動における被害者の個人情報を調べるのは難しいだろうな……情報は完全に保護されていて、容易には調べられない。誰も“自分が侵黒者になったことを知られることは望まない”からな。とりあえず、今度連れてこれるか? もしその幽霊の子が侵黒者だったのなら、確実にうちの病院の方に運ばれてる筈だ。確実とは言えないが、院内に彼女の何らかの資料が残ってる可能性はある……俺にそんな権限は無いから、親父経由で頼み込むことになるがな」
「な、なんだか大事になりそうですね。出来ればお願いしたいんですが、今ちょっと本人は行方知れずになってしまってて……見つかり次第一緒に来よう思います」
「そうなのか? 俺も見えるかは分からないが、一応外に出た時は気に留めてみるよ。そうだ、人手が必要だったら“珀”のこと連れ回して良いぞ。あいつ協力するとか言って、全然何もしないからな。今日は用事があるだかで居ないが」
「はい! ありがとうございます。また見つかり次第、連絡しますね!」
「ああ……そろそろ、妹さんが作ってくれたサンドイッチ食べたらどうだ? 別にこの部屋は飲食禁止されてないから心配しなくていい」
「あっ、そうでした……! じゃあ、失礼して……」
サンドイッチを詰めた容器入りの籠は、恋羅が大切そうに膝の上で抱え込んでいた。俺が食べようとするので、恋羅が籠から丁寧に容器を取り出して差し出してくれた。
「ありがとう」
「うん。僕もう大丈夫だから、後は柚希が食べて大丈夫だよ」
容器の中にはサンドイッチが九個残っていた。恋羅にしては珍しく三個も食べてくれたようだ。よっぽど美味しかったのか、俺も喜ばしい気分になった。九個なら、まぁ食べられなくはないかな。
「いただきます」
はむっとサンドイッチを頬張ると、まず口に広がるのはパンの風味と塩コショウで味付けされたふわふわなスクランブルエッグの優しい味わいだった。更にもぐもぐと噛みこんでいくと、スクランブルエッグに混ぜ込まれた食べごたえ抜群の香ばしく焼かれたソーセージの旨味、そこにトッピングされたピリ辛マスタードと甘いケチャップの良いアクセント加わって最高の組み合わせだ。美味しい。
これは非常にシンプルながら、満足感が大きい。先程、恋羅が歩きながらしていたように、手が止まらなくなってしまう。
「美味しい……!」
「だよね。水無月に感謝しないと」
「ははっ、美味しそうに食べるな」
うっ……二人に見守られている。こんな状況での食事は恥ずかしい限りだが、残り八個もあるので続けて二個目、三個目とよく噛みながら食べていった。途中で詰まらせないように、飲み物も飲む。
うん、本当に美味しいな。こんなに沢山あることを喜べるくらいには美味しい。ありがとう、水無月……。
それからは、ちょっとした雑談話に発展していって、あっという間に時間が過ぎていった。大量にあったサンドイッチは、どうにか食べきった。俺とは正反対に、隣でたった一つの菓子パンをゆっくりと食べていた恋羅には少し悲しくなったが。まぁ本当にサンドイッチは美味しかったので、全てを許そうと思う。
丁度夕方あたりだろうか、妹の水無月はもう下校している時間帯だ。もしかしたら、病院のあたりで合流出来るかもしれないという恋羅からの提案により、何故か夢津さんまでついてきて三人で病院前の邪魔にならなそうな通りで待ってみた。この光景を水無月が見たら、ちょっと驚かせてしまうかもしれない……。
一度水無月に電話をしてみたら、もう近くのあたりを歩いているとのことだった。だいぶすぐに、合流出来てしまいそうだ。
「あ~! 本当にお兄ちゃん居た! 恋羅くんも! 愛川さんも!?」
予想通り、数分後にはぴょこぴょこと水無月が駆けてきた。
今朝出掛けた時にも見た楽しそうな笑みを見ていると、今日も元気そうで良かったと俺は家族として安心した気持ちになる。
「みな! おかえり。作ってくれたサンドイッチ美味しかったよ、恋羅にも分けたんだ。美味しかったって」
「ふふっ、沢山作りすぎちゃったかなって思ったんだけど良かった! そうだ、お兄ちゃん明日休みでしょ? 何か予定ある?」
「えっと……色々と調べたいことがあるかな……何で?」
「ダメダメ! 休みの日くらいは、難しいことは考えないようにしないと! 明日ね、一緒に神社に行かない?」
「神社? いきなり?」
「“灯神社”だよ! 最近どんどん怪物が増えてるし……灯様の加護お守りは効果絶大だって友達から聞いたんだ。今日学校で見せてもらったんだけど、可愛いうさぎさんの形してるんだよ! 私も欲しいな~!」
へぇ……そうなのか。
実は、この【陽厦】の都市には神様が居る。灯神社という名の通り、その神様の名前は“灯(ともし)”。【陽厦】の成り立ちにも関わる加護の神様だという。この都市にとって、中枢が“脳”なら、灯様は俺達を護る骨格……或いは、“心臓”と表現しても良い。そのくらい、重要な存在なんだ。
前々からなんとなく話題としてはよく聞いてきたものの、確かにあの場所へは今まで行ったことはなかったな。それに……大切な家族からそんなに強い熱意で言われたら、断れるわけがないじゃないか。水無月の悲しむ顔は見たくない、たまには休むべきかな……隣で静かに見守っている夢津さんもニッコリと笑って、俺を見つめてきている。これはまるで、“圧力”だ。
断るという選択肢は、無かった。
「……うん、分かったよ。良い機会だし行ってみようか!」
「やったー! お兄ちゃん、ありがとう! そうだっ、恋羅くんも一緒にどう?」
「えっ……う~ん、申し訳ないけど休みは家でゆっくりしたいんだよね。あと人が多いとこ苦手だし、遠出面倒だし、遠慮しておく……」
「そっかぁ……うん、ゆっくり休んでね」
恋羅をお出掛けに誘う難易度は高い、絶望的と言った方がいい。
「兄妹でお出掛けか、良いじゃないか。気をつけて行くんだぞ。そうだ、駅まで距離があるだろうし送り迎えしてやろう」
「夢津さん……でも、そこまでお世話になるわけには……」
「遠慮するな。俺もどうせ暇なんだ、何も気にしなくていい」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ありがとうございます」
こうして、明日は一旦諸々の調査は休憩となり……俺と水無月と二人で、急遽[灯神社]へと行くことになった。
久々に家族とお出掛けなんて、楽しいことに違いない。けれど……俺は心中穏やかでいられなかった。だって、結局この日は……最後まであやさんと再び合流することが叶わなかったから。
……どこにも、居ないんだ。
彼女が、約束を反故するなんてことは考えられなかった。何か不足の事態が起きている……それしか思い付かない。
あやさん……どうか、無事でいて。俺は、君を助けてあげるって約束したんだ。これでお別れなんて嫌だ。
また……見つけてあげないと。