
◆4.自分に出来ることを(3)
その後の夢津さんによる中枢から発表された落書きに関する声明についての説明内容は、今朝に恋羅が軽く調べて分かったこととそう大きく変わりはなかった。
謎の落書きは、【陽厦】都市全体の至る所でされていることを実際に中枢の方でも確認したそうだ。報告を受けて判明しているだけでも、その数なんと五十箇所以上……いたずらとして片付けるには規模が大きく過剰な行為であることから、中枢でも現地へ向かい、各所でより詳しい調査を行ったという。
調査結果として、落書き自体に危険性は無いとのことだった。
しかし当然こういった行為が許されるわけではないので、中枢では今後引き続き、調査と犯人の捜索を進めていくと……公式発表の内容はざっくりとこんな感じで終わっていた。それがもう五年前の記事。夢津さんが言った通り、これ以降は暫く進展が無いようだった。
しかも、一番気になっていた“落書きは侵黒者にしか見えない”らしいという点に関しては、その文章内では最後まで触れられることが無かった。これは単純に、侵黒者への配慮だろうか?
あの“中枢”が関与したにも関わらず、結果がこれなんて……俺はちょっと納得がいかない。だって落書きは結局放置されたまま消されもせず、むしろ今も増え続けていく始末じゃないか。
犯人も野放しだし……。
「本当に、これだけなんですか? こんな説明で納得出来ません、なんだか忘れ去られてそうですよね……」
「そうだな……単純に考えればあの落書きは、中枢として対応する優先順位が低いのかもしれないが、たかが落書きに対してやけに表沙汰にならないように対応しているのも気になる。改めて見てみると不明瞭な部分が多い」
「怪物のことで手一杯なんじゃない。それかまた民間人には何か隠して、内輪だけでこそこそやってるんだ……はぁ、やっぱり中枢って無能……あっ、言わない約束なんだった。待ってて柚希、僕がこれからもう少し調べてあげるからね」
「あぁ、うん………………ありがとう」
…………なんとも微妙な空気になってしまった。
昨日、俺が道路に飛び出しかけた時に職員さんと遭遇したが、“中枢”とは正式名[陽厦中枢機関(ようかちゅうすうきかん)]の一般的な呼び名だ。“中枢”と言えば伝わるほど一般的な存在となっているこの機関は、都市【陽厦】の中心地に建つ大きなビルを本拠地としている。機関内では更に細かく複数の部署が割り振られていて、多くの職員がそこで各々働いている。
大まかに説明すると中枢はこの都市を先導していく代表機関であり、【陽厦】での物事の多くは彼らの開発した大規模な情報管理システムを用いて適切に運用されている。それに加えて、他関係各所とも綿密に連携することにより、この都市は上手く破綻せず円滑に回っている。分かりやすく例えるなら、中枢はこの都市において人間でいう“脳”のような役割を担っているように思う。
こう言ってしまうと、やや独裁的で人々が考えを放棄しているように聞こえてしまうかもしれないが、全てが中枢の管理下に置かれて思うがままにされているわけではない。あくまで都市の基盤を担い、補助的な立場として力添えをする働きの方が多い。
彼らが日々より良い都市運用の画策も行っていることからも、勝手な事情で身勝手に行動しているわけではないことが分かるだろう。俺がいま住んでいる星雷を大した不便なく住みやすいと表現出来たのも、その恩恵は実際に感じている証拠だと思える。ちなみに中枢自体が行った情報収集は勿論のこと、人々も区役所を経由し気軽に意見を送ることが出来る。現状から改善出来るようなことがあれば、中枢は実際に各現場に出向き意見交換などをして、少しずつでも人々が快適に安心して生活出来る街にしようと尽力してくれているそうだ。
ただ、この都市には本当に沢山の人が住んでいるわけで……なかなか全員が揃って快適で幸せな環境というのも難しい。中枢を良く思っていない人も、少なからず居るように見受けられる。
それでも中枢が多くの人々から手厚い信頼を置かれ続けているのは、これまでの実績があるからだと思う。
ここ最近だと、やっぱり「怪物騒動」に関する対策が目立っている。まず現場状況を迅速に把握する為の職員が各所へ派遣され、街中には都市全体の保安組織である[依兎間(いとま)]の警備員が人々の安全確保の為に特別配備されたりなどしている。
それから神出鬼没である怪物への対抗策として、彼らの出現時に真っ先に気付けるようにと探知機の開発も早期に行われた。昨日街中で見掛けたように、今では実際に活用されて役立っている。更に怪物の出現情報は、専用サイトやアプリを通じて早期に身近に知ることが出来るようになった。
あとは……怪物による被害者の医療費は全て、中枢が肩代わりしてくれているとか。このように、急に出現し始めた怪物へのあらゆる対策は、ここ数年で俺達の日常へと完全に組み込まれていった。
ただ……いくら多くの対策を講じても、結局は完全に問題が解決しなければ意味が無い。苦労して開発された探知機だって怪物が出現し始めないと反応しないため、被害を未然に防ぐことも難しい。一向に真相解明と収束がされずに五年の月日が経っているのが現状で、これまでの中枢への信頼は……今まさに揺らぎ始めてしまっているように思う。
……そうか。「怪物騒動」が起き始めたのは五年前……謎の落書きは丁度、怪物が出始めてから少し経った時期に発見されるようになったらしいと恋羅も言っていた。この二つの問題は時期的に丁度重なることになる、やっぱり関連性は強い筈だ。
それなら、落書きに対する中枢の態度も頷ける。怪物騒動は……未だ謎多き未知の存在による、人間にとっては極めて困難な課題となっているから。それに、あの落書きを書いているのは――。
「不気味なことには変わりないが、お前らはどうして急にこれが気になったんだ?」
「あっ! その……俺が昨日見たんです、例の落書きの近くに怪物に似た生き物が居るのを! さっきのノートにも一応描いてあります、それが例の落書きを書いて回ってるみたいなんです」
「ふむ……」
夢津さんは俺の言葉を聞いたあと、実際にノートから昨日見た生き物に関するページを開いて見つめていた。写真なんて撮る余裕は無かったので、実は帰ってから記憶を頼りに急いで描いてみたのだが、生憎と絵は苦手なので生き物の姿が上手く伝わるか不安になった。
「あぁ……まぁ、見た目は怪物だな。こいつが落書きを……? 火華は冗談なんて言わないだろうが、それが本当だとしたら厄介なことだな……」
「はい、それに探知機にも引っ掛からないみたいなんです。機械が故障してないのはしっかり確認してます」
似た生き物とはいうものの、俺は正直もう怪物を何度も見てきているから、あれは怪物で間違いないと自信を持って断言できる。第一、他にあんな姿の生き物なんて確認されていない。
ただ、怪物でありながら異なる点も多いのが気に掛かる。
「なるほど、もしかしたらこいつは普段人間達を襲う怪物とはまた違う役割を持った“亜種”とも考えられるな。まさか今になってこんな新しい発見が出てくるとは……落書きが見付かった時期から推測するに、これまで全然見付からなかったこいつは相当な隠れ上手だ。ところで、被害は出てないのか? 野放しだろ?」
「えっと、被害に関しては今のところ心配なさそうかなと……まだ話に聞いただけの段階ではあるんですが、この生き物はこそこそと隠れて落書きだけして回ってるようで、人は全然襲ってないみたいなんです。ただやっぱり気になるので、俺は一応これから捕まえてはみようと思ってます」
「捕まえるか……大丈夫なのか? いくら人間を襲わない個体だとしても、無理に危ないことはするなよ。本来なら、一般人がそこまで身体を張る必要なんてないんだからな」
「心配要らないよ、僕が側に付いて無茶する前に止めるから」
優しく諭す夢津さんを前に、すかさず恋羅が話に割り込んできた。続いて、俺に向けられる彼の鋭い視線。俺は苦笑いで返した。
俺の身の安全に関することになると、いつもこうやって口煩くしてくるから予想はしていた。あんまり反抗的になるのは良くないし、これは黙って有り難く思っておこう……恋羅が側に付いてくれると頼もしいのは確かだし。
それとやっぱり、探知機に引っ掛からない怪物を捕まえるにはあやさんの力が必要不可欠だ。一応あやさんのことも、夢津さんには話しておこう。
「夢津さん。落書きと生き物についてなんですが、元々俺はある人から教えてもらって知ったばかりなんです。最近、ここら辺で赤いワンピースを着た女の子を見掛けたりしませんでしたか……?」
「赤いワンピース? 今の季節でか? それって幽霊の類いじゃないよな……」
「えっと……実はそんな感じだったりします……」
俺は夢津さんにも、“あやさん”のことを大まかに話した。
「幽霊の女の子が迷子になってる? しかも記憶喪失? はー、とんでもないな……」
「はい、嘘じゃないんですよ! 本当に、本当に居て……俺はその子を助けてあげたいんです。あの、先月に向こうの路地で大型の怪物が暴れ回ってますよね……彼女には、件の路地でのあまり良くなさそうな記憶と思われるものが少し残ってたんです。もしかしたら彼女はそこでの被害者だった可能性があるのかなと俺は推測していて、失われた記憶の手掛かりに繋がるかもしれないと考えてるんですが……どうでしょうか……?」
「なるほど。確かに最近あの周辺では、それ以外に目立った事件は起きていない。ただ、怪物騒動における被害者の個人情報を情報は完全に保護されていて、容易には調べられない……誰も“自分が侵黒者になったことを知られることは望まない”からな。とりあえず、今度連れてこれるか? もしその幽霊の子が侵黒者だったのなら、確実に隣の病院に運ばれてる筈だ。確実とは言えないが、院内に彼女の何らかの資料が残ってる可能性はある……俺にそんな権限は無いから、親父経由で頼み込むことになるが」
「は、はい! 大変になりそうで申し訳ないんですが、その際は是非お願いしたいです……!」
良かった……まだ僅かな希望ではあるけど、あやさんの方の問題も上手くいけば進展がありそうだ。待っててね、あやさん。
……いや、というか今あやさんは……。
「す、すみません夢津さん! 実は、今その子は行方知れずになってしまってて……見つかり次第一緒に来たいんですが……」
「そうなのか? 俺も見えるかは分からないが、一応外に出た時は気に留めてみるよ。そうだ、人手が必要だったら“珀”のこと連れ回して良いぞ。あいつ協力するとか言って、全然何もしないからな。今日は用事があるだかで居ないが」
「はい! ありがとうございます。また見つかり次第、連絡しますね!」
話が一段落したところで、夢津さんから「そろそろ、妹さんが作ってくれたサンドイッチ食べたらどうだ?」と促された。話に集中しすぎて、すっかり忘れていたな……。
サンドイッチを詰めた容器入りの籠は、恋羅が大切そうに膝の上で抱え込んでいた。俺が食べようとするので、恋羅が籠から丁寧に容器を取り出して差し出してくれた。
「ありがとう」
「うん。僕もう大丈夫だから、後は柚希が食べていいよ」
容器の中にはサンドイッチが九個残っていた。恋羅にしては珍しく三個も食べてくれたようだ。よっぽど美味しかったのか、俺も喜ばしい気分になった。九個なら、まぁ食べられなくはないかな。
「じゃあ、失礼して……いただきます」
はむっとサンドイッチを頬張ると、まず口に広がるのはパンの芳ばしい風味と塩コショウで味付けされたふわふわなスクランブルエッグの優しい味わいだった。更に噛みこんでいくと、スクランブルエッグに混ぜ込まれた食べごたえ抜群の香ばしく焼かれたソーセージの旨味、そこにトッピングされたピリ辛マスタードと甘いケチャップの良いアクセント加わって最高の組み合わせだ。美味しい。
これは非常にシンプルながら、満足感が大きい。先程、恋羅が歩きながらしていたように、手が止まらなくなってしまう。
「美味しい……!」
「だよね。水無月に感謝しないと」
「ははっ、美味しそうに食べるな」
うっ……二人に見守られている。こんな状況での食事は恥ずかしい限りだが、残り八個もあるので続けて二個目、三個目とよく噛みながら食べていった。途中で詰まらせないように、飲み物も飲む。
うん、本当に美味しいな。こんなに沢山あることを喜べるくらいには美味しい。ありがとう、水無月……。
それからは、ちょっとした雑談話に発展していって、あっという間に時間が過ぎていった。久々の楽しいひとときだった。
夕方あたりだろうか。
もしかしたら、いま丁度下校する時間帯にある妹の水無月と、帰りに合流出来るかもしれないという恋羅からの提案により、その後は何故か夢津さんまでついてきて三人で病院前の邪魔にならなそうな通りで待ってみた。この光景を水無月が見たら、ちょっと驚かせてしまうかもしれない……。
一度水無月に電話をしてみたら、もう近くのあたりを歩いているとのことだった。だいぶすぐに、合流出来てしまいそうだ。
「あ~! 本当にお兄ちゃん居た! 恋羅くんも! 愛川さんも!?」
予想通り、数分後にはぴょこぴょこと水無月が駆けてきた。
今朝出掛けた時にも見た楽しそうな笑みを見ていると、今日も元気そうで良かったと俺は家族として安心した気持ちになる。
「みな! おかえり。作ってくれたサンドイッチ美味しかったよ、恋羅にも分けたんだ。美味しかったって」
「ふふっ、沢山作りすぎちゃったかなって思ったんだけど良かった! そうだ、お兄ちゃん明日休みでしょ? 何か予定ある?」
「えっと……色々と調べたいことがあるかな……何で?」
「ダメダメ! 休みの日くらいは、難しいことは考えないようにしないと! 明日ね、一緒に神社に行かない?」
「神社? いきなり?」
「“灯神社”だよ! 最近どんどん怪物が増えてるし……灯様の加護お守りは効果絶大だって友達から聞いたんだ。今日学校で見せてもらったんだけど、可愛いうさぎさんの形してるんだよ! 私も欲しいな~!」
へぇ……そうなのか。
実は、この【陽厦】の都市には神様が居る。灯神社という名の通り、その神様の名前は“灯(ともし)”。【陽厦】の成り立ちにも関わる加護の神様だという。この都市にとって、中枢が“脳”なら、灯様は俺達を護る骨格……或いは、“心臓”と表現しても良い。そのくらい、重要な存在だった。
前々からなんとなく話題としては聞いてきたものの、確かにあの場所へは今まで行ったことはなかった。それに……大切な家族からそんなに強い熱意で言われたら、断れるわけがないじゃないか。水無月の悲しむ顔は見たくない、たまには休むべきかな……悩んでいると、隣で静かに見守っていた夢津さんもニッコリと笑って、俺を見つめてきていた。これは……まるで、“圧力”だ。
断るという選択肢は、ある筈もなかった。
「……うん、分かったよ。良い機会だし行ってみようか!」
「やったー! お兄ちゃん、ありがとう! そうだっ、恋羅くんも一緒にどう?」
「えっ……う~ん、申し訳ないけど休みは家でゆっくりしたいんだよね。あと人が多いとこ苦手だし、遠出面倒だし、遠慮しておく……」
「そっかぁ……うん、ゆっくり休んでね」
恋羅をお出掛けに誘う難易度は高い、絶望的と言った方がいい。
「兄妹でお出掛けか、良いじゃないか。気をつけて行くんだぞ。そうだ、駅まで距離があるだろうし送り迎えしてやろう」
「夢津さん……でも、そこまでお世話になるわけには……」
「遠慮するな。俺もどうせ暇なんだ、何も気にしなくていい」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ありがとうございます」
こうして、明日は一旦諸々の調査は休憩となり……俺と水無月と二人で、急遽[灯神社]へと行くことになった。
久々に家族とお出掛けなんて、楽しいことに違いない。けれど……俺は心中穏やかでいられなかった。だって、結局この日は……最後まであやさんと再び合流することが叶わなかったから。
……どこにも、居ないんだ。
彼女が、約束を反故するなんてことは考えられなかった。何か不足の事態が起きている……それしか思い付かない。
あやさん……どうか、無事でいて。俺は、君を助けてあげるって約束したんだ。これでお別れなんて嫌だ。
また……見つけてあげないと。