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​◆5.特別な力(1)

 加護の神、“灯(ともし)”。

 この都市【陽厦】に於いて欠かすことの出来ない、とても重要な存在となっている彼の姿を実際に目にする機会があるのは、陽厦中枢機関の上層部くらいだろう。大多数の人々は会うこともなければ、彼の姿形も知らない……ただ、一つ例外として、“声”だけなら緊急時の放送なんかで耳にすることはあった。この土地で長く人と共に過ごしてきたからか人の言葉は話せるようで、親しみを感じるような柔らかで中性的な声色だった。それがまさか神様なんて。

 そんな酷く朧気で多くの謎に包まれている存在でありながらも……彼の存在を疑う人は殆ど居なかった。

 

 彼はこの都市と、ここに住む人々を護ってくれている。

 

 何故そう言えるのか。

 というのも、実はこの都市が立つ土地は様々な要因で非常に恵まれた環境にあるらしく、そのせいでこれまで何度も“外部から襲撃”を受けるようなことを実際に経験している。一つ注釈しておこう、この外部からの敵の殆どは“人間の力ではおおよそ対処するのが困難な人ならざる存在”だ。最近のは十年前にあった。

 そんな襲撃による幾度にも重なる強大な攻撃を受けていても、今も変わらず【陽厦】無事に存続出来ているのは、灯様の加護に助けられているからだった。都市を囲むように張られている結界、街中では破壊を防ぐ加護の込められた小さな石が所々に並べ立てられているのを見掛けられる。彼が得意とするのは“護ること”だった。

 

 そしていま問題となっている「怪物騒動」に関しても、また“外部からの襲撃”によるものではないのかという話が少なからず上がっていた。この都市の多くの人々が謎の怪物に日々警戒して過ごし、被害者は有害物質による苦痛から必死に耐えている現状……これは明らかに、都市の危機と言える。

 ……しかし今回、怪物の出現から五年が経とうとしている現在までも灯様の介入は一切無かった。彼はこの件に関して、何もせず沈黙を貫いている。あまり神様を過信して、都合よく頼りすぎるのも良くないとは分かっているものの……これまでのことがあったからこそ、どうしても人々は助けてくれることへの希望は抱いてしまう。

 それに今回の「怪物騒動」は、灯様に深く関係する事柄も絡んでいる可能性が高い、まさに“確実に関わるべき事案”でもあった。彼は人々が抱く疑念と不安を払拭する為にも、何かしら行動を起こして欲しいと皆訴えているのが現状だった。

 これから先、どうなるだろうか。

 

 

 水無月と、出掛ける約束をしていた当日。

 ゆっくりと目が醒めた俺の視界に映ったのは、薄暗い自室の天井だった。いつも窓からカーテン越しに、明るく射し込んでくる陽の光はまだ無い。起きる時間には早かったのか……壁時計に目をやると、案の定まだ朝の五時二十分あたりを指していた。

 というか、全然寝れなかった気がする。

 

「うぅ……」

 

 昨日はいつも通り夜の十時には自室のベッドに入って目を閉じたというのに、そこから意識が落ちるまでに数時間は掛かった。何度も体勢を変えてみて、それでもなかなか寝付けない……結局最終的には寝れたのだろうが、それもたったの三時間程度だろう。今日は、特に変な夢を見なかったことだけが幸いだ。

 こんなこと、本当に久し振りだった。久々の遠出だから少し緊張しているというのもあるだろうし、やっぱり昨日から行方知らずになってしまった“あやさん”のことが心配で頭から離れず、どうしても落ち着かなかった。

 それから、増え続ける謎の落書きのことも……この件は、俺よりも情報収集が得意である恋羅が、これから更に詳しく調べてみてくれるとのことだったが、今もまたあの怪物に似た生き物が街中を巡り落書きを増やし続けているんじゃないかと想像すると、なかなかに恐ろしく思えた。俺も何か急いで行動するべきなんじゃないかという焦りに駆り立てられる。あれは一体、何なのか。

 様々な不安と心配が、俺の中でぐるぐると渦巻いている……。

 

「…………駄目だ、落ち着かないと」

 

 寝起き直後にも関わらず、段々と早鐘を打ち始める心臓が、少しずつ俺の精神の乱れを自覚させてきていた。俺はベッドに仰向けで寝転がった体勢のまま、何度か深くゆっくりと深呼吸をする。

 落ち着け……そんな言葉を心の中で何度も繰り返してみるも、状況は更に悪化していくようだった。昨日の夜のように、寝ようと強く意識すると、逆になかなか寝れなくなってしまう現象と同じだ。

 

「っ……うぅ…………」

 

 駄目だ、一向に良くならない。それどころか胸のあたりに窮屈さを感じて、気道もどんどん狭まっていくように、息をするのが若干苦しくなってきた……急な苦しさに、俺の思わず耐えるように体を丸めた。あぁ、これは恐らく“薬の効果”が薄れてきているんだ。早めに、次のものを飲まないと不味い。

 俺はどうにか力を振り絞って、ベッドから身を起こした。その後ベッドから降りてよろめきそうになりながらも、近くの勉強机に置いていた薬の束に手を伸ばす。俺はプラスチックシートの包装からプチっと一錠だけ切り離し、急いで机に置いていた水筒の水と共に、その小さな薬を飲み込んだ。

 これは今のように、“もしもの時”の為の日頃の用意だった。

 

「はぁ…………」

 

 薬と共に喉を通る水の冷たさは、今の俺にはとても心地よく感じた。これで、とりあえずは一安心。これ以上は悪化しないはず、後は大人しく体調が落ち着くのを待っていよう。

 

 侵黒者である俺にとって、この薬は生命線である。薬の効果により抑え込まれている時には忘れられるのに……こうして油断してしまうとたちまち引き起こされる苦痛が、俺に非常な現実を叩きつけてくる。身体を侵す黒泥の有害性は強く危険で、もうこの薬に頼らなければ、既に侵黒率の高い俺はまともに生活することなんて困難になっていた。辛うじてまだ動けてはいるが、とっくに俺の身体は……ぼろぼろなんだろうな。

 もう普通とは程遠い存在、日々有害物質に身体を侵される“侵黒者”であることからは決して逃れられない。ただ……だからと言って、諦めたくはない。

 

「まだ、頑張らせてくれ………………」

 

 机に置かれた薬の束を虚ろに眺めながら、俺はひたすら切実に願う。俺の身体はもういつどこで駄目になってしまうか分からないが、もう少しだけ頑張りたいんだ。まだ……やれていないことが沢山ある。まだ、自分のことを許せていない。このまま終わってしまったら、俺は酷く後悔してしまうだろう。

 …………誰にも言えていないが、俺は一人で居ることが恐い。一人だと、俺はすぐこうして考え事ばかりになる。それに不安や心配事ばかりが頭の中が埋め尽くして、本当に良くないことだ。そのままエスカレートして冷静さを欠いたら、俺が最終的にどんなことをしでかしてしまうか分からない……。

 いけない。今日はせっかく水無月と楽しいお出掛けなんだ、兄として万全な状態でしっかりとしていなければ。

 ……そう考えている間に、ようやく息苦しさから解放されて、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻してきた。良かった。また二度寝するのもどうかと思った俺は、潔くそのまま起きて準備することにした。まぁ、さっき確認した時間なら多少早いくらいで収まるだろう。朝には変わりない。

 俺は再びスマホを手に取り、鳴る必要が無くなったアラームも止めてから、いつも通り着替えを済ませて一階へと降りた。

 

「…………?」

 

 あれ、なんだかいい匂いがする……そこから察した通り、一階では既にライトが点けられ明るくなっていた。一際明るい台所を覗いてみると小さな姿が立っている、妹の水無月だった。

 もう朝食でも作っているのか。髪は邪魔にならないようにいつものお団子にされていて、綺麗に着替えた服が汚れないように丁寧にエプロンを着けている。というか、水無月が俺よりもこんなに早起きしていることに驚いた。一気に目が覚めた気分だ。

 

「みな……もう起きてたのか?」

 

 俺は驚かせないように、やや抑えめの声量で話し掛けた。それでもすぐさま俺の声に反応して軽やかに振り返った水無月は、とても嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

「お兄ちゃん、おはよう! 楽しみすぎて、早くに目が覚めちゃったの!」

「そっか………俺もだよ、楽しみだな。えっと、実は昨日寝る前にいくつか調べてたんだ。駅の近くに、甘味処があるんだって。神社に着くまでは電車で一時間くらい掛かるし、まず駅に着いたらそこに寄ってみようか? 小腹が空くかもしれないから」

「えっ! そんなのがあるんだ、行きたい! メニューは何があるんだろう……楽しみ……」

「今は寒い時期だから、お汁粉とかあったよ。あと普通にお餅とかお饅頭とか、お団子もあったかな。和菓子なら結構種類が豊富にあったよ、お土産を買うのも良いもしれないな」

「わぁ……凄いね……! 私もまた何か楽しい場所ないか調べてみよう!」

 

 良かった……実は昨日研究所で雑談していたとき、夢津さんと恋羅にネットでの調べもののコツを教わったんだ。せっかくの観光だし、また行けるかも分からないから、後悔しないようにしたい。

 ちなみに、灯神社自体に関しては敢えてそこまで詳しく調べなかった。自分で直接見聞きして楽しむ方が良さそうだから。最低限、行き帰りと参拝時のマナーだけは叩き込んでおくくらいだ。

 水無月が絶賛していた、可愛らしいと噂のお守りも気になるな。せっかくだし、俺もお迎えしよう。恋羅も要るかな?

 

「あっ、お兄ちゃん朝ごはん今作ってるから待ってて! せっかく時間あるから、いま肉じゃが煮込んでるんだ」

「わぁ、ありがとう。それにしても本当に早いな、味噌汁まで作ったのか……俺も一旦顔洗ってきてから、何か手伝うよ」

「ふふっ。なんだか落ち着かなくて、気付いたら色々作っちゃってた……じゃあ、ご飯よそってもらっていい? あとお箸も」

「分かった」

 

 水無月が用意したのは、俺が昨日作ったオムライスとコーンスープといった“洋風”とはまた違った“和風”な朝食だった。水無月の得意料理である優しい味わいの肉じゃがをメインに、短冊切りにされた油揚げと豆腐の入った温かい味噌汁が添えられている……それだけでは物足りないと感じたのか、冷蔵庫に入れていた大根と胡瓜の漬け物も後から足された。

 居間のローテーブルに全ての料理とお箸などを並べ終えたら、二人一緒にいただきますをしてから食べ始める。俺はまず出汁の旨みが効いた温かい味噌汁を一口飲んでから、煮汁のよく染み込んだじゃがいもと肉と白滝を贅沢に絡めて、一緒に頬張った。おぉ……ホクホクとしたじゃがいもがとっても柔らかい、それに煮込み加減がバッチリで具の全体によく味が染みている。味噌汁と同様に、ホッと安心するような美味しさだった。

 

「みな、肉じゃが美味しいよ。本当に作るの上手いな」

「えへへっ、良かった! ねぇ、お兄ちゃんとお出掛けなんて久し振りだね。小さい頃以来じゃないかな、嬉しいなぁ」

「そうだな、暫く外なんて出られなくなってたから……」

「うん! 今日は二人でたくさん楽しもうね」

 

 いつものニュース番組では丁度、天気予報が流れていた。今日の天気は晴れのち曇り、とのこと。途中で曇ってしまうのは残念だが、雨が降らなければそれで良い。

 それからニュースでは、早朝に二つ隣の[夕雨地区]にて怪物が一体出現したと流れた。幸いにも被害は出ておらず、その個体はすぐに“特隊”によって倒されたという。[夕雨地区]のその一画は、なんと灯神社が位置している場所の近くのようだ……少し不安だな。今日は殆ど外に出ていることになるから、しっかり水無月を守ってあげないと。

 そうして揃って早起きをしてしまった俺達兄妹は、これからの日程にわくわくと期待を膨らませながら朝食を楽しんだ。

 

 朝食の片付けをしたあとは、再度身だしなみを整えてから、最終確認として持っていく荷物の整理をしていく。余計な物は家に置いておこうと思った俺は、いつもより丁寧に自分の鞄の中身を確認した。鞄の内ポケットとか、結構余計な物が入ったままになっていそうだな。ゴミは流石に無いと思うが…………ん?

 内ポケットの一つに手を突っ込むと、何か入っているのを確認できた。取り出してみたが、それは俺にとって全く見覚えの無い小さな包みだった。恐る恐る、中に何が入っていただろうかと中身を取り出してみる……ええと、これは髪に着けるピン?

 

「これ、どこかで…………」

 

 赤い珠が三角形を成すように三つ付いている、黒のピン。明らかに見覚えのあるデザイン……そうだ、特徴的だったからよく覚えている。これは、あやさんが前髪に着けていたものと全く同じだった。

 何で、これが俺の鞄に?

 幽霊となっているあやさんから、これだけ落ちたということでは無い筈だ。俺も拾った覚えはないし。

 じゃあ、これは一体何なんだ?

 

「み、みな……?」

「うん?」

 

 困惑し過ぎてどうしようもなくなった俺は、手っ取り早く近くで同じように出掛ける準備をしていた水無月に聞いてみることにした。もしかしたら、何か知ってるかもしれない。

 

「ごめん……これ何だか分かるかな?」

「え?」

 

 唐突な問い掛けに少し困惑しながらも、俺の持つ小さな黒いピンを一点に見た水無月は、すぐに閃いたかのように表情をパッと明るくさせた。何か分かったらしい。

 

「あぁ! それ、お兄ちゃんが拾ってあげた落とし物でしょ。手伝い始めてから連日探し回ってて、やっと見つけたって大喜びしながら綺麗にしてたのに。まだ本人に渡せてなかったんだね?」

「俺が……?」

「覚えてないの? 先月のことだよ」

 

 申し訳ないことに、全然……覚えてない。

 先月は確か、ひたすらあの路地で出た大型怪物についての調査に奔走していた記憶はあるが……落とし物の手伝いなんてしたか?

 

「……お兄ちゃん、大丈夫?」

「だ、大丈夫! ただ、記憶が抜け落ちてそうで恐いな……水無月がそう言ってるなら、本当なんだろうけど」

 

 俺は咄嗟に大丈夫だと返してしまったが……記憶が不完全だなんて、相当不味いんじゃないか。でもおかしいな、病院では何度も診てもらっていて、最近受けたものでも別に異常は無いと診断されているというのに。

 また心配事が増えて不安になっている。それがまた表情に出てしまっていたのか、水無月はじぃ~っと俺の顔を覗き込んで眉をひそめていた。そ、そんなに見ないでくれ。

 

「う~ん……黒泥って、脳にまで影響あるのかな? まだどんな症状が現れるか、全部は分かってないんでしょ? ここからまた変なことが起きたりして取り返しのつかないことになったら恐いし、また早めに病院で診てもらった方が良いかもね」

「いや、まぁ……今はいいかな。どこか痛い訳じゃないし、まぁ少し様子は見てみるよ」

「そう? あと、また分からないことがあったら気軽に聞いてね。その落とし物もせっかく見つけたんだし、いつかまた本人に会って渡せるように持ち歩いておいた方が良いと思うよ」

「うん、そうだな。教えてくれてありがとう」

 

 心配事は増えたが、このピンは思いがけない収穫になったかもしれない。落とし主を一切覚えていないことは痛い……しかし、これは明らかにあやさんが着けていた特徴的なピンと同じものだと確実に言える。次に会った時には、これを見せてみようかな。

 それにしても、これがあやさんの着けているものと同じだった場合……落とし主は高確率で、あやさん本人ということになるだろう。だとしたら、俺は……一昨日に路地で衝撃の出会いを果たすよりも前から、あやさんとは既に会ったことがあるのか?

 ……まさか、流石にそんな上手い話は無いよな。それに会ったことがあるのに全然覚えていないなんて、そんな失礼なことを俺がしでかしていたとしたらもう生きていけないじゃないか。本当に。

 俺はまたその黒いピンを丁寧に小さな包みへと戻して、再び鞄の内ポケットに入れた。水無月に言われた通り、また落とし主に会えた時ちゃんと渡せるように。大事に持っておこう。

 

 それからは、あっという間に約束した時間が迫ってきた。

 さっきの天気予報では、今日の気温は低くなりそうだと言っていたから、俺はいつも通り適当なシャツとズボンの上に黒のコートを羽織って、マフラーと手袋もきっちりと身に着けた。

 水無月にも、しっかりと温かい格好をするように伝えた。温かいワインレッドのセーターと……黒のスキニーパンツの上に羽織ったのは彼女のお気に入りである、可愛らしいピンクとホワイト配色のふわふわな……キルティングコートだった。このいくつかの難しい名前は教えられて覚えた。ファッションは難しい単語ばかりだ。

 

 さて、もうそろそろ出発の時間か……その前に身だしなみも整えたことだし、一度外を確認しておきたい。さっき、ふと考えたんだ。この後また外へ出たら、昨日みたいにあやさんが急に声を掛けてきて驚かせてくれないかなって。俺はまた驚きのあまり転んでしまっても良い、それ以上に嬉しいんだ。

 そう期待を込めて、俺は一足早く玄関先へと向かい扉をゆっくりと開けた……。

​© 2018₋2025 Amayado

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