
◆6.黒の怪物(2)
早速、藤谷さんは耳に掛けたインカム型の無線で、俺の考えた計画について他の隊員へと連絡をし始めた。これから移動する必要があるかと思ったが、当の怪物の方は丁度ぐるりと周辺の建物を回ってきて、またこちらに誘導出来そうとのことだった。
その言葉通りに藤谷さんと共に待機していると、数分後には依兎間の隊員の一人がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。きっとあの人が、引き付け役にでもなってくれているのだろう。一体どれだけの距離を走ってくれていたのだろうか……その顔は明らかに疲弊していて、もうそろそろ限界が来ようとしている感じだった。
そして、後ろには……先程見たのと同じ怪物が、隊員の人と僅か数メートルの距離でぴったりと付いてきていた。
気付くと俺と藤谷さんの周りにはいつの間にか、また他の隊員の人達が集まってきている。責任重大だ……もし、ここで俺が止められなかった場合、この力の強い暴れ馬状態の怪物をそのまま迎え撃つことになってしまう。また特隊の人達が突き飛ばされたり、攻撃されて怪我をしてしまうかもしれない。それは何としてでも避けたい。
「頼んだ!」
引き付け役となっていた人が、こちらへと合流する。
いよいよだ……!
「了解! 火華くん、目の前に来るよ! 他の隊員たちにも一緒に盾を支えてもらうから、そこまで気負わないで。準備はいい?」
「はい!」
周りの人達の為にも、あの怪物はきっちりここで倒さないと!
俺は突進してくる怪物の真正面に立ち、グッと両手で前方に盾を構えた。そこに、周りに居た特隊の人達が両脇から更に盾を支えてくれている。
落ち着いて……きっと大丈夫。俺に目覚めた“特別な力”を活用すれば、そこまで苦労することは無いはずだ……負けない、止めてやる……!
地面を揺らすような怪物の重たい足音が、どんどん迫ってくる。
あと数歩。
来る……!
――ゴンッ!
「くぅ……っ!!」
怪物は一切怯むことなく、盾を構える俺に対して真正面にぶつかってきた。その衝撃は凄まじく、あまりの勢いに盾は鈍い音を立てて震え、俺の足はズルズルと後方へと少し押されていった。綺麗に整えられたタイルの歩道では靴が滑りやすく、その場に留まろうとしても難しかった。確かに強い……これでは、どんなに体を鍛えた人であろうと止めるのはなかなかキツいだろう。盾を持つ両手を通して、衝撃が全身へとビリビリと伝わってきた。それでも負けない、俺はどうにか踏ん張って怪物をその場に押し止める。
黒泥によって、侵黒者として俺に目覚めた特別な力は――“怪力”だった。その気になれば、硬いコンクリートでさえも粉々にしてしまえるような危ういもの……俺には扱い切れる自信がなくて、普段は左耳に着けた赤いピアス型の制御機器で抑えている状態だ。
幸いにも強かったのは最初の衝撃だけで、そこから怪物を押し留めることは十分出来そうだった。俺を突き飛ばしてしまおうと躍起になっている怪物は、構えた盾をどうにか押し込もうとしているが……その結果、怪物はその場に留まらざる終えなくなっていることに気付いていない。つまりは、もう既に大して動きのない“完全に狙いやすい的”となっていたのだ。そう、これが俺の狙いだ。
これで、心臓を上手く狙えるはず……今ならば確実に倒せる!
「撃つよ!」
何も言わずとも察したように、俺の側に控えていた藤谷さんが前へと飛び出し、毅然とした態度で怪物へと銃を構える。この怪物の心臓は右前足の真ん中だ……次には、俺が藤谷さんへと先程伝えた位置に素早く弾が撃ち込まれた。
どうだ……!?
「…………」
怪物の動きが、完全に止まった。
それから真っ黒な躰は瞬く間にどろどろと崩れていく、無事に心臓が撃ち抜かれた証だった。見事に倒せたのだ。
うぅ、良かった……それを見て安堵した俺の手からは、盾の掴みを強く握りしめていた力が自然と抜けていってしまった。
「おっと、大丈夫?」
「は、はい……」
そうして危うく手放しかけてよろついた盾を、藤谷さんが支えてくれてそのまま回収された。この盾も、随分と頑丈だったな……。
久し振りに怪物と間近に対峙したせいか、俺の両手は緊張でまだ僅かに震えていて痺れも残っている……もう暫くは、先程のようには強い力を入れられなさそうだ。この緊迫感はまさに、初めて現場に出て依兎間の特隊と連携しながら怪物を倒した日のことを思い出す。とりあえず、倒せて良かった……また制御機器をオンにするののも忘れないようにして、と……。
すると俺の周りに集まっていた特隊の人達は一気に沸き始めて、わぁっと口々に感嘆の声を上げた。
「なかなか勇気があるんだね、ありがとう! 助かったよ!」
「おぉ……全然違うところばっか攻撃してた、凄いな!」
「なぁ、将来はうち入るのか? 絶対に活躍出来るぞ~!」
「はは……」
囲まれて次々と褒めちぎられる、俺は急なことに慣れなくてただただ各々に対して照れ笑いしか返せなかった。勘弁してほしい。何で、こんなに褒めてくれる人ばかりなんだ……でも、優しいなぁ。
元々望まないものではあるが、特別な力も活かせたし……こういう使い方が出来るのなら多少は良いのかもしれないな、なんて危うく思ってしまう。これを受け入れてしまったら、黒の怪物の存在や悪行を肯定するのと同義だ。今までの頑張りを無駄にしかねない、そんなの駄目だ……。
ただ、そんな穏やかな時間も長くは続かなかった。
「! 怪物が一体こちらに急接近!」
「さっきの飛行型か!」
しまった! まだ、もう一体居たんだ……!
どうやら、先程の相手にした怪物が倒れたせいで来たらしい。
すると、次にはすぐ側を一人の隊員が勢いよく駆け出していた。赤紫色のハーフサイドテール髪を揺らすその人は、続けて手に持った拳銃を遥か上空へと両手で構える。
動きにつられて空を見上げると、雲が多く霞がかり始めた空を奇怪な形の翼をはためかせながら飛ぶ黒い怪物を目に捉えた。殆どの住民達の避難が完了している中で、攻撃の的となるのは未だ外に居る俺達……怪物は真っ先にこちらへと急降下してきていた。早い!
心臓の位置を伝えないと……どこだ……くそっ、動きが早すぎて上手く特定出来ない……!
「…………! 心臓――」
「火華くん、危ないから下がって!」
俺は藤谷さんに引っ張られて、瞬時に構えられた盾の後ろへと無理やり下がらされる。駄目だ、間に合わない……!
「!」
パァンッ!
……!
渇いた銃声が、街中に響いた。他の隊員の人達が続いて銃を構えたり、盾で防御体勢を取るよりも、圧倒的に素早い判断だった。皆が息を呑み、緊張した面持ちで状況を窺う……その様子から、勝敗はとっくに着いたように見えた。
予測通り、黒い影は直後にその勢いを失ってよろよろと落下――それを確認した俺と特隊の人達は、なるべく急いで離れて距離を取る。
ベチャッ!
「!」
黒い影は、地面へと落ちた。
後方から恐る恐る見てみると、地面を汚していたのは真っ黒な泥の塊……それに少し混じるのは鮮やかな赤い臓物だった。心臓が……確かに、貫かれて怪物は倒れたようだ。もう動く気配は無い。
「危ない……黒泥は浴びてないよねぇ?」
「はい……!」
それより、あの状況で咄嗟に撃って倒したのか……!
「やった! なかなか当てるの上手くない!?」
当の怪物を倒した本人は余程嬉しいのか、満面の笑みで周囲の隊員達に向かってピースしたりしていた。精神が強すぎる……。
この人のことは俺もよく知っている、藤谷さんと同じ隊に所属している榁井ひがささんだ。元々依兎間の特隊隊員の中でも、かなり武器の扱いが上手いとは聞いていたが、心臓の位置も分からない上空の怪物を見事に狙い撃ち出来るなんて本当に凄すぎる。というか、強運と言うべきか……。
隣に立っていた藤谷さんは、「今回は何もない上空だったから良かったけど、ひがさちゃんはどこでもいつでも軽率に撃ちまくるからヒヤヒヤするんだよねぇ」なんて苦笑いで溢していた。結果的に、その軽率さが功を奏したみたいだ。
……改めて、依兎間の人達は凄いと感じた。それと同時に、俺なんかではあまりにも住む世界が違うなと萎縮してしまう。
さて、これでようやく一段落だろうか?
「お手柄だな、皆ご苦労様。現時点で、周辺の怪物は殲滅出来たようだ。しかし、また怪物が出現する危険性もある、今は周辺の見回りを続けていこうか。それから一部人員は、この現場の怪物の死骸回収と洗浄を行おう」
「はい!」
ここに集まっている隊の隊長を務める倉那さんの指示のもとで、各々の次行動が早速決まった。
倉那さんからも改めて先程のお礼と、まだ周囲の状況が完全には落ち着いていないことから、俺はまだ駅には戻らずに現場の方で待機していてほしいと伝えられた。引き続き、側には護衛として藤谷さんがついてくれている。
その途中で、偶然にも友人と出会った。
「おっ、柚希!? 出てたんだ!」
「理途夢……!」
本当に理途夢だ、こんなところで会えるなんて……!
そんな通りすがりの理途夢の背中からは純白の大きな翼が生えていて、それによって見事に空を飛んでいるのを俺は見上げていた。もうすっかり見慣れた光景だ、あれが理途夢に侵黒者として目覚めた特別な力らしい。彼の双子の姉である、緑も同じなんだ。
空を飛べる翼だなんて……とても実用的で大当たりと言うべきか、目覚めた能力としては本当に素晴らしく感じる。いや、本来なら必要のない能力なのは重々承知の上で。俺なんて、気を抜くとあらゆるものを壊しかねなくて日々恐ろしい気分だから。
「なぁ、さっき飛んでる怪物がこっちの方に居ただろ? 流石にヒヤッとしたぜ!」
「あっ、さっき榁井さんが倒したやつだな……もう大丈夫だよ。もしかして、緑も一緒に外に出てるのか?」
「おう! ちょっと離れたところに行っちゃったけど、まぁ緑は俺よりも賢くて上手く立ち回れるから心配ない! 俺はまた空から見回ってみるよ~!」
「うん! 怪我しないように気を付けながら、お互い頑張ろう」
「お~!」
理途夢と、それから緑も無事に元気そうで良かった。
そうだ、恋羅は今頃どうしてるだろう。こういう時あんまり積極的には出てこないから、大人しく家に籠っていると思う……それでもこんな状況じゃ心配だし、後で軽く連絡でもしてみよう。
そしたら離れている父さんと母さんも大丈夫か心配になってくるな。二人はこういう時に、手軽に連絡出来ないからもどかしいんだよな……。
それから暫く、俺は邪魔にならないように少し離れた建物の側に寄ってから、現場の洗浄作業をしている特隊の人達を眺めていた。きっちりと防護して、安全に作業してくれている。近くのビルの窓や店の中から此方を覗く人達を少し眺めてみると、やっぱりまだ不安そうな顔が多かった。仕方がない、目の前にはまだ回収の出来ていない有害物質がどろどろと街中を汚しているのだから。
怪物は倒した後の後始末も一苦労だ。怪物の死骸……“黒泥”は一日ほど経てば蒸発していくように消えるのだが、こんなに人が多い場所で有害物質を放置していくのは危ないし、衛生的にも良くない。 怪物が死んでからも、黒泥の悪影響が無くなるわけではないし、大変な作業となるが怪物の討伐は黒泥の回収と周囲の洗浄までが仕事だった。
「さて、ここ周辺の怪物は倒せたみたいだねぇ。今の戦況だけど、夕雨はほぼ鎮圧完了みたい……地区によって大きく差が出てるねぇ」
俺の隣に来た藤谷さんは、依兎間特製の携帯端末を見ながら呟く。一つの画面でそこまで分かるのか……とも思ったが、普通に藤谷さんの耳元に掛かったインカム型の無線機から色々なやりとりが流れているんだろうな。時折、それで連絡をしているのも見る。当然ながら俺には一切聞こえなくて、その詳しい内容は知る由もない。
夕雨地区か……確か、パッと見ただけでも怪物の数はそこが一番多かった気がする。それでも迅速に対応出来てしまうなんて、凄いな。それにあそこには灯神社がある、もしかしたら……。
「藤谷さん、もしかして灯様も手伝ってくれたりしたんですかね……? 今まで“怪物騒動”に関わることは無かったとは聞いてますが、流石に今回の出現規模となれば……」
「いや~それがねぇ、普通に中枢から派遣された人が活躍してくれたみたいだよ~」
「え……そ、その人が、殆ど倒したってことですか……?」
「そうみたいだねぇ。彼は常に全身武装してて名前も正体もよく分からないから、みんな勝手に“ヒガンバナ”って呼んでるんだ。彼の戦闘はとにかく派手で見物だし、依兎間がサポートに回るしかないくらいには凄い実力者だよ。私達特隊でも並べるかどうか~」
「本当に、灯様じゃないんですか……?」
「彼の戦い方を見たら、きっとそんな風には微塵も思えないよ~。爆薬撒き散らしながら、銃を撃ちまくって、刃物まで投げたり突き刺したりするんだからねぇ……もう滅茶苦茶だよ~」
「あっ……すみません、もう完全に理解しました。それは普通に危険人物ですね、全然灯様じゃありませんでした……」
ヒガンバナ……彼岸花が由来か。鮮やかで綺麗だが、陽厦では不吉なイメージの強い花だ。どうしてそうなったのか、先程の彼の戦いぶりを聞いてからは容易に想像できてしまう。とんでもない、よくそんな人が中枢に協力してくれてるな。弱味でも握られたのか……?
このあと俺と水無月は夕雨地区まで行く予定だけど、時間的にまだそんな人が居残ってたりなんてしたら恐いなぁ。いや、別に敵に回るわけじゃないけど。
「さっ、気を取り直して! 涼嵐は怪物のターゲットになる人間がそもそもあんまり居ないからか、怪物の出現数もそこまでで……そこもついさっきに全ての怪物の討伐が完了したみたい。だから残るは花曇、それからうちの星雷だねぇ……」
その時、無線に連絡が入ったようで藤谷さんは耳を傾けていた。俺は……また怪物が追加で出てくるんじゃないかとヒヤヒヤした。