
◆9.重なる偶然(1)
翌日の朝、週の始めだ。
有意義な二日間の休日が終わり、また俺はいつものように学校へと向かう準備をする。忘れ物がないように、家の戸締まりに不備がないように、しっかりと確認を重ねて。
いつも提げている鞄には、一昨日に灯神社で迎えた可愛らしいお守りがコロコロと揺れていて、俺はただ荷物の準備をするだけでもやたら嬉しくなっていた。これを見ていると、その時の楽しかった思い出も再び甦ってきて自然と笑みが溢れて……恥ずかしながら、暫くはこんな感じになってしまうだろう。
感情も含めて忙しない様子で家中を動き回っている俺とは正反対に、横ではテレビから流れる朝のニュース番組をあやさんが興味津々に眺めていた。
「ねぇ、柚希くんは何座なの? 占いやってるわよ」
「俺は獅子座……何位だった?」
「ええと~、五位みたい!」
「へへ、わりと良いね」
時折こうして話し掛けてもらっていると、俺はなんだか妹の水無月がまだ小さかった頃を思い出す。昔、小さな水無月は俺が何をしていようとすぐ近くに寄ってきて、楽しそうにあれこれ色んなことを話し掛けてくれていたんだ。後々聞いてみると、それはただひたすら俺とお喋りがしたかったのだと思うと本人の口から言われた。
俺は特に、そこまで面白い返事は出来ないのにな……。
もしかすると、あやさんがこうなってしまう前にもそういう話し相手が身近に居たのだろうかと俺は想像を膨らませた……とにかく、あやさんが楽しそうで良かった。
こうして誰かと話すことや、眺めるだけで楽しめるテレビだとかは、物に触れることも出来ない彼女の退屈を紛らわせるのに良い娯楽となっているようだ。毎朝やっているこのテレビ番組は真面目なニュースだけでなく、内容がバラエティに富んでいて結構楽しく観れるから俺もお気に入りなんだ。既に少し前に登校していった水無月も、家を出る直前まではのんびりとここでテレビを眺めているくらいだし。
「あやさん、もうそろそろ俺も学校行くけど……本当に一人で大丈夫?」
「もう、勝手に動かないわ! 家でゴロゴロしてるから」
「その浮いてる身体じゃ、ゴロゴロは出来なさそうだけど……じゃあ、また昼に戻ってくるからね。そしたら、約束した通り一緒に研究所に行こう」
「ええ! 柚希くん、学校いってらっしゃい!」
「うん、いってきます」
とびきりの笑顔で全力で手を振るあやさんの見送りは、俺の視界から家の玄関先が見えなくなるまで続いた。もちろん玄関扉の鍵はしっかりと閉めている、これは幽霊のように壁を通り抜けられる今の彼女だからこそ出来る芸当だ……この後は、ちゃんと家の中で待機してくれるといいのだが。
正直なところ、あやさんをまた学校にまで誘うべきかと迷ったが、一つ懸念していることがあって取り止めた。それは、あやさんの姿を見ることが出来る人の条件……現時点で見えると判明したのは、俺と夢津さんと恋羅の三人。俺達の共通点として挙げられるのは、やはり“侵黒者であること”。彼女が怪物と関係しているようなのを踏まえると、それが最も有力だ。
何が言いたいかと言うと、俺の通う桜日は“侵黒者の為の学校”であって、そこにあやさんが行くとすれば学生の子達はみんな彼女のことが見える可能性が高い。
一見すると良いことのように思えるかもしれないが、見慣れない女の子が学内に急に現れるなんてことは、学生達からの好奇の視線を集めて混乱する事態に繋がりかねない。それでは授業どころではなくなってしまいそうで……あやさんも、大変な思いをしてしまう。
まぁ、つまりは問題が起きてしまうかもしれないということだ。あやさん自身も、慣れない場所は緊張してしまうからいいと断られているからな……無理に連れていくわけにもいかない。
また色々と考え事をしながら安全に学校まで辿り着くと、校門付近の大きな桜が今日も学生達を出迎えてくる。花はまだまだ咲き誇っているが、地面を見てみるとだいぶ花弁が散り落ちているようだった。俺がいま踏み締めている柔らかな地面の土の上には、見事なまでに綺麗な淡い桜の絨毯が出来ていた。
今回はまた随分と散っていくのが早い、最近はわりと風の強い日が多いせいだろう。今もしきりに、勢い良く冷たい風が俺の頬に当たってくるくらいだ。本当に勘弁してほしい。
外の寒さから逃れるように、俺は昇降口へと駆け込む。すっかり慣れた手つきで自分の下駄箱のところから上靴に履き替えて、廊下を進み、既に開かれた前側の引き戸から教室に入った。
「あっ、おはよう柚希」
「おは~、柚希!」
真っ先に俺へと挨拶をしてくれたのは、双子の姉弟である緑と理途夢だった。とびきり反応が早い。理途夢とは先日の怪物騒動で偶然に会えたから一昨日ぶりか、二人とも特に怪我も無く元気そうで安心した。
俺は自分の鞄の中に入れてきた土産の存在を思い出して、すぐに二人の元へと駆け寄る。
「理途夢、緑、おはよう。急だけど、お土産持ってきたんだ」
「マジか! やったぜ~!」
「ちょっと理途夢、恥ずかしいから落ち着いてってば」
土産と聞いて、嬉しそうにガッツポーズをする理途夢を横目に、苦笑しながら嗜める緑。それに俺は笑みを溢しながら、土産の入った袋を二人にそれぞれ手渡した。こうして直接土産を渡せるのは休み明けになるのを想定して、二人にはある程度日持ちする和菓子を中心にいくつか見繕ってみた。
袋を見てすぐに反応を示したのは、緑の方だった。
「ありがとう。この袋って、夕雨の駅近くにある甘味処のよね」
「知ってるんだ、もしかして行ったことある?」
「そうね、たまにあっちの方に出掛けることもあるから。でも暫くは全然行けてなかったの……わぁ、見たことない商品がいくつもあるわね。美味しそう、嬉しいわ」
「それなら良かったよ」
会話のあと、にこやかに笑った緑は「じゃあ、授業前の準備しなきゃだから」と一足先に俺の渡した土産を持って、自分の席に着いた。しっかりしている。
残った理途夢が、引き続き俺に問い掛ける。
「それで、あっちの方には何の用事で行ったんだ?」
「ああ……妹から灯神社のお守りが欲しいって言われて、良い機会だし一昨日に一緒に行ってきたんだ。とっても綺麗な場所だな」
「! 一昨日って……まさか、あの大規模な怪物騒動の後に行ったのか!? 体力凄いな~! 俺は騒動が落ち着いたあと、片付けまで手伝ってたからあまりにも疲れすぎて家で爆睡したんだぞ!」
「あははっ、俺も水無月も楽しみに準備してたんだから中断するのもなって。でも、流石に行きの電車で俺は寝ちゃったよ」
「だよな~、柚希なんて沢山頑張ったって聞いたんだぜ!」
理途夢にまで話がいってるなんて、依兎間の人達はどれだけこの話題を周囲に拡げていったのだろう。そこまで大事にしなくてもいいのに、改めて聞かされると俺はまた照れくさくなってしまう。
「休日だから、だいぶ混んでたろ? それで、柚希はお守り……おっ、もしかしてその鞄に着いてるやつか――って、白!?」
「そ、そんなに驚くことか……?」
俺の鞄に着けたお守りを見た途端、驚愕する理途夢は全くの予想外だった。恋羅は反応無しだったのに……どうやら理途夢は、灯神社に関してもう少し詳しいらしい。
「いや、いやいや……元々そのお守りは初期だと“白”しか色の種類が無かったんだぜ? それが、年月経つにつれて今みたいに可愛い感じに着色されるようになったって歴史があってだな……」
「じゃあ、これは古いやつなのか?」
「そうなるな、確か……着色するようになってから、白はもう作られない筈だ。色が着いてるのが基本になったから。だから、それはざっと見積もっても数百年くらい昔に作られたものじゃねーかな……信じられねーけど、箱の底に埋もれてたとかで……」
「え? まさか……そんなわけ……」
普通に着色を忘れられた不備品とかじゃないのか、にわかには信じ難い話だ。ただ、理途夢がこんな冗談をつくわけもないし……。
そんな話をしていると、近くの同級生の会話がふと耳に入ってくる。特別気になったのはそこに灯様という単語が聞こえてきたからか、恐らく俺達の会話が流れていったせいだろう。
『そう言えば……あの噂ってどうなったのかな』
『なに?』
『怪物騒動を引き起こしてるのが、灯様だって話。だって、あれは元々灯様が由来の力だし……それで不気味で危ない生き物を作り上げるなんてこと、灯様にしか出来ないんじゃないかって』
『でも、今回のことはまた普通に外部からの襲撃だって中枢は言ってるよ? いつも襲ってくるのはああいう変な生き物ばっかりだし、ただ神様の力が盗まれて悪用されてるだけだって考えたら何も不思議じゃないんじゃないかな』
『……だったら、灯様はどうして未だに何もしてくれないんだろう。こんな肝心な時に動かない神様なんて…………もう、何が本当なんだかよく分からないよ。いつになったら普通の身体と生活に戻れるんだろう……』
なるほど…………そういうことは、実を言うと俺も一切考えたことがないというわけでもなかった。この都市で生きてきた身としてはなんとも不敬すぎるが……俺も同じく侵黒者だからこそ、自身の身体への苦痛や先の見えない日々へ不安を嘆いて疑心暗鬼になる気持ちは分かる……そんな状況が続けばストレスも溜まって、怒りも沸くし、ああやって愚痴りたくもなるだろうな。
中枢機関は対策を講じながら、怪物が出現する原因の特定や騒動の完全な解決に尽力してくれているようだが、一応は彼らもあくまで今回の怪物騒動はまた“外部からの襲撃”だと公表している。
けれども……やはり自身の力に関わることを悪用されているにも関わらず、未だに襲撃に対して明確な動きを見せない神様に対しての困惑と疑問が残るせいか、そういった疑いの声が跡を絶たない。
このあたりについても、中枢がもう少し明言してくれていれば変な噂も減るだろうに。
理途夢もその会話を盗み聞いていたのか、この時ばかりは珍しく神妙な顔つきになっていた。そうして向こうには聞こえないように、気持ち小さな声で話を続ける。
「あんな馬鹿げた噂、アンチが何の憶測もなく勝手に広めてるだけだから気にしなくていいぜ。いつまでやってんだか……いつも助けてくれてた相手が動かないからって途端に嫌味を吐き捨てて、今までの恩を仇で返そうとするなんてな。否定しに行きたいところだけどさ、みんな怪物のことで大変だったり憂鬱な状況だからな……変に触れて気分悪くさせちゃったらアレだし止めとくか」
「まぁ、話してるだけなら自由だしな。俺も全く信じてないよ」
俺も適当に言っているわけではなく、このことについて確実に否定出来る根拠があるからこその判断をしている。灯様がそんなことをわざわざする理由はあるのかと、逆に疑問なんだ。
前提として、まず怪物の躰を構成する黒泥を調べてみると……DNAまでは鑑定が難しかったようだが、微量ながらも“神性能力者の血液”組織の一部が確認されたと公表されているのだ。つまり今回の怪物騒動に、神性能力者の特別な力を宿す血液が悪用されていることになる。黒泥の有害性はそれが原因だろう、人間にとってアレは身体に合わない“毒”でしかないのだから。黒泥を入れ込まれた侵黒者の一部に、特別な力が目覚めるのにも納得だ。
それを踏まえて……そんな悪逆極まりない被害を受けている神性能力者というのは、“灯様自身がわざわざ特別な血液と身体を授けたと言われている存在”なんだ。そんな彼らを、果たして灯様は“自らの手で傷付ける”なんて行為をするだろうか? ましてや彼らの血液を悪用して、この都市の人達を攻撃するなんて……考えられない。
それに、神様がこれまでから急に加害的な態度へ一転したとなれば非常事態である筈だ。それが事実ならば、中枢機関がもっと慌ただしく何かしら働きかけていると思うが……。
「へへっ、柚希がそう思ってくれてるなら安心したよ。そのお守りはきっとしっかり見守ってくれるぜ。つーわけでレアものだから、大切にしろよ~」
「うん」
そこに遅れて、ようやく恋羅が登校してきた。
恋羅は静かに前方の自分の席へと向かい、背負っていたリュックをどさっと机の上に置いてから、一瞬右側の俺の席を見やっていた。俺がまだ荷物も置かないで、珍しく席が空になっていたせいだろう……俺はすぐさま声を掛けようとしたが、それと同時に恋羅は後方で一緒に居る俺と理途夢の存在に気付いたようで、視線を向けるとゆっくりと俺達の元へ寄ってきた。うん……いつも通り、眠そうだ。
「……おはよう」
「おはよう、恋羅」
「はよ~! 恋羅知ってるか、柚希は灯神社行ってきたんだぜ!」
「知ってるから…………もう、朝から大声出さないで」
さて、最近は学業が疎かになってしまっているから、今週からはまたより一層集中していかなければ。そう心に誓って、俺は張り切って授業に挑んだ。
………………。
…………………………。
………………………………。
全ての授業を終えた、放課後。
ううん、少し張り切り過ぎた気がする……堪らず、俺は座った姿勢のまま一度ぐっと伸びをする。そうしていると、やっぱり隣に座る恋羅がすぐに心配をしてきた。
「疲れた?」
「そこまでじゃないけど……連日、頭を使いすぎてはいるかもな」
「……そりゃあね、最近の君は随分と考え事とかやることが多そうだし。ある程度一段落したら、そのあと丸一日くらいは思いきり休む日つくってみたら?」
「! 良いな、それ……うん、その時は美味しいものも必要だな」
大きめのグラスを使って自作パフェとか……考えただけでもわくわくしてくる。いや、でも本当にそんな怠けてしまって大丈夫なのか……はぁ、こんな調子では俺が完全に心休まる気分になれる時はなかなかに来なさそうだ。それでも、ひそかに計画は立ててみよう。
恋羅は昨日話した通りに、これから落書きの件について中枢へと意見書を送ったりなど色々すべきことがあるらしく、なんだかまた忙しいようで真っ先に帰宅するそうだ。
「じゃあ恋羅、頑張って」
「うん、君に良い報告が出来るようにするから。柚希も中枢の職員見掛け次第問い詰めるの忘れないでよ……それから、あやさんのこともこれから良い方向に進むといいね」
「! うん、気に掛けてくれてありがとう」
「別に……それじゃ、また明日」
「また明日!」
俺も、恋羅に良い報告が出来るように頑張るぞ!
恋羅と分かれてからは、理途夢と緑にも軽く帰りの挨拶を済ませる。理途夢には「今日もラーメンを食べるのか」と軽い気持ちで聞いてみたところ、「柚希から貰った土産の和菓子食べようかな~」なんて冗談めかしく返された。
「ちゃんと食べてくれよ」
「へへっ! 今日はたくさん動き回る用事があるから、ラーメンだと流石に重いだよ。本気で和菓子だけでも良いぜ」
すかさず、緑から「そんなわけないでしょ」というツッコミが飛んでくる。理途夢はもう抵抗することを諦めたのか観念した様子で、「じゃあ、適当にパン買うわ」とそのまま逃げるように自分の荷物を抱えて教室を出ていった。やっぱり、風のようだ。
「はぁ…………」
「緑、方向同じだし途中まで一緒に帰ろうか……?」
「えっ、良いの? ふふ、ありがとう」
そんなこんなで、俺と緑は道が分かれるまでは一緒に雑談でもしながら和やかに帰ることとなった。
今じゃ不気味な怪物がいつ出てくるかも分からないこの都市で、誰しも一人で出歩くのは俺としては心配だ。本当は妹の水無月だって、一緒に登下校していってあげたいくらいで……。
再び襲われる可能性が無いと考えられる侵黒者だって、嫌な記憶が残っているせいでまだまだ外出には不安な気持ちがある筈だ……安心安全の為には一人で帰るよりはずっと良い。
それから、数分後。
特に問題なく、無事に帰宅した俺は真っ先に居間へと向かう。
「ただいま……! あやさん、居る?」
果たして、彼女はしっかり家の中で留守番してくれているだろうか……? しっかりと確認するまで、不安で堪らない。
「居るわよ~!」
「!」
彼女の姿をこの目で捉える前に、とびきり元気な声が響いてきた。今度はちゃんと返事が返ってきて、俺は心底安堵した。
居間に着いてみると、そこには確かにゆったりと座った姿勢であやさんが待っていた。良かった、本当に居る……再会できた……。
「……な、なんだか、妙に嬉しそうね? 気のせい?」
「いや……ううん、また何かあったらどうしようって心配だったんだ。ちゃんとこうして会えて良かったなって……」
「! そうだったの、何も起きてないから安心して。あら、あっという間にお昼寝ね! チャンネルが変えられないのは惜しいけど、テレビのおかげで時間はそんなに気にならなかったわ。ただ点けっぱなしにさせちゃってごめんなさいね。電気代が……」
「げ、現実的な話は止めよう……いや、四時間程度だしそんなには……大丈夫だよ!」
ゆっくり安心しているのも束の間で、昼食をささっと食べて少し休憩を挟んだ後に、俺とあやさんは一緒に病院の方へと向かった。